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二・二八事件とは・・・

投稿者: akitamojira 投稿日時: 2004/03/22 19:16 投稿番号: [1985 / 16409]
勝手に、gogai3000さんの代わりにレスしました。

<二・二八事件とは>

1945年8月15日、日本は無条件降伏。台湾からの撤退が始まります。日本が撤退した後、この台湾はだれが接収するのか、台湾の人たちもどうなるのかよく分からない日々が続きました。
  結果的に大陸から蒋介石が乗り込んでくるのは終戦後50日がたっていました。その間、台湾は「無政府」状態だったのです。しかし、たいした混乱もなかったといいます。
  やがて大陸から中国国民党軍が進駐し、中華民国として再スタートを切ります。この戦後国民党軍の進駐以後台湾にやってきた人たちは「外省人」、従来からの住民は「本省人」として呼ばれるようになりました。外省人から見ると、戦争中「日本人」であった本省人は敵になります。台湾の人々は、戦争中は日本の支配下におかれ、戦後は同じ漢民族とはいえ外省人の支配下におかれたのです。外省人は戦勝国の一員として日本が残した財産等を接収し台湾統治の権力を握り、本省人の上に立ちました。本省人にとっては基本的に戦前と変わらない、いや心情的にはそれ以下の状況におかれることになってしまったのです。「本省人」対「外省人」の対立は日に日に増していきました。(この時代を描いた映画に『悲情城市』というのがあります。一度ご覧下さい)
  このような背景をおさえた上で、次の『主張する台湾   迷走する日本』(黄文雄著   光文社)の「二・二八事件」に関する部分をお読みください。

台北市内の盛り場の「円環」で、ヤミたばこ売りの婦人を取り締まる際、ヤミたばこ摘発隊の中国人が、ひざまずいて許しを乞う婦人の頭を拳銃の銃床で殴打した。このささいな出来事で、まわりで成り行きを見守っていた群衆が激昂し摘発隊を取り巻いたところ、摘発隊が群集に発砲して死者を出してしまった。
  翌2月28日早朝、台北市の住民たちが下手人の処罰を求める陳情に出かけると警官に発砲された。この官民の衝突が台湾全島の民衆蜂起となり、「打倒貪官汚吏!」と叫ぶ台湾人と中国人の激突に発展したのだった。
  3月4日、台湾全島の代表が「処理委員会」をつくり、台北市の公会堂で総会を開き事件の平和的解決を図ろうとした。陳儀行政長官も処理委員会の「三十二項目政治改革法案」要求を受け入れ、最後に「言必有信」(言葉通り信を守る)と堅く約束した。
  だが、事件は一見収まったかのように見えたものの、陳儀行政長官が密かに南京の蒋介石に台湾民衆の「造反」を打電していた。蒋介石はすぐさま鎮圧部隊を派兵し、同部隊は台湾に上陸後大虐殺を行ったのだ。虐殺された人々は3万人以上、ほとんどが台湾各界で活躍してきた知識人と大学生・高校生ばかりであった。
   「二・二八事件」は、台湾有史以来最大の悲劇だった。台湾人のエリートは、たったの2週間で中国軍人から計画的に虐殺され、その犠牲者は台湾総督府時代の50年間の「征台の役」をはじめとする戦死者よりも多かった。

ということです。
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