政治の恣意ではないか・・・
投稿者: nihao_aq_jp 投稿日時: 2008/11/26 12:24 投稿番号: [15225 / 16409]
もちろん、国民の立場で言うなら政治家が清廉であることは望ましい。
しかし、実のところ、政治家に言わせるなら清廉を保つのは容易なことではない。
究極の清廉とは、つまり、何もしないと云うことに他ならないのだ。
多くの場合、政治家の不正は、政治家が故意に意図して法を犯したと云うのではない。
落とし穴にはまった・・と言うのが正確だろう。
世の中は複雑であり、現実社会において清廉と不正、或いは合法と違法、その境界線は明瞭ではないのだ。
だから、適法の範囲ギリギリの線でクリアし、最善の方法で解決したはずの問題でも、後日、それが再び掘り返され、違法の犯罪として糾弾される。
それはもう、予知できないことであり、そうなると政治家は地雷原を踏みしめて歩いている心境だろう。
政治の恣意によって法の解釈を変更し、合法と違法の境界線をちょっと動かすだけで逮捕できるのだ。
台湾の検察なんか、政治の意のままに動く。
そこには長い伝統がある。
白色恐怖(白色テロ)の時代、共産党の嫌疑をかけさえすれば誰でも意のままに逮捕できた。
拷問でも密告でも、そこに誰かの証言がありさえすれば、即、銃殺にできたのだ。
台湾には未だにその時代の感覚が残っている。
この時代、流石に「共産党・・」はないが、汚職の嫌疑をかければ、政敵を一網打尽に抹殺できる。
政治を考えるなら、必ずその裏を探らねばならない。
そうなのか?
本当にそうなのか?
政治の恣意によって、法がオモチャにされているのではないか?
聞くところ、馬英九総統に対して批判的姿勢の嘉義県長(陳明文)、雲林県長(蘇治芬)など、汚職の嫌疑で立て続けに逮捕されている・・との事。
あり得る事か?
これらは政治の恣意ではないのか。
嫌疑をかけて、取りあえず逮捕。その証拠は後(あと)から何とでも・・。
この手法は、台湾においては常識なのかも知れないが、この手法がまかり通るなら、白色テロの時代と何処がどう違うだろう?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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