守一
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2008/09/15 14:09 投稿番号: [14918 / 16409]
ま、昔の道教の、一種の瞑想のことである。観想とは違う。
世に例えはいろいろあるが、まぁ、あからさまに書くのもあれなので。。。
おかまとホモ(或いはゲイ、若しくはニューハーフ)の違いは、青江のママやいつも選挙に立っていた東郷(だったかな?)などのおかげで、大体は分かる。
しかし、おかまとの違いとして羅列した、ホモとゲイ(また、ソフトゲイとかハードゲイまで細分する人もいるが)の違いはどうもよく分からない。
ニューハーフはおかま、ホモ、ゲイとは全く違うことも分かる。
では、ホモとゲイはどう違うのか?
勿論、呼称が違う。ということは、素人でも、概念や定義が違うことはうすうす分かる。
ホモだち、という言葉があったが、ゲイだち、とは言わなかった。ホモにはホモのプライドがあり、ゲイにはゲイのプライドがある。しかし、呼称はどちらでもいい、という寛容派もいる。
で、これらを、もし仮に、総称して、同性愛者、と呼んだらどうなるか?
おかま、ホモ、ゲイ、ニューハーフ、それぞれの個々別々の文化、習慣をいっしょくたにするのは、文化的な日本国民としては、どうも気が引ける。あまりに乱暴な呼称である、と。。。
北海道に山田太郎というおかまが存在すると仮定しよう。
沖縄に、これまた、同姓同名の、ホモの(或いはゲイの)山田太郎が存在すると仮定しよう。
これを、山田太郎という名前は同じ、同姓同名だが、山田太郎の解釈が違う、とは誰も言わないだろう。
山田太郎は北海道と沖縄に併存するとも言わない。
ましてや同性愛者の山田太郎が北海道と沖縄に同時に存在するとも、言い難い。(言ってもいいがそのあまりにぞんざいな、乱暴な表現は問題)
北海道の山田太郎はおかまで、ホモではない、と主張する。わたしは沖縄の山田太郎とは違うのだ、と。。。沖縄の山田太郎、然り。
世に「一中」の解釈が異なるだけだ、と云うバカが多くいる。
しかし、精確には、「一中の解釈」ではなく、「一中の概念・定義」が異なるのである。
北海道と沖縄の山田太郎を、同性愛者でくくるか、男性でくくるか、山田太郎という氏名でくくるか、それはそれぞれの分類の仕方であろう。
しかし、山田太郎の解釈が北海道と沖縄では違う、とは言わないだろう。
概念・定義が異なる場合、呼称は同じだが、全く別物と見るのが普通。まともな判断である。
それが国の場合となると、一気に事は複雑となる。
先の大戦のフランスを見ればよい。
フランス亡命政府と親ドイツのフランス政府の二つがあった。しかし、現実には、政府として機能していたのは本土にいた親ドイツのフランス政府。
アメリカが助けてくれてやっと、亡命政府はお国に帰って、今度は、コラボ狩り。
それがいまだに続いている、フランスという国、ゴーロワという民族は憐れなモノである。コラボだって、必死に国を愛し守ろうとしたのだから。立場の違いであろう。
アメリカが助けてくれたそのおかげで今のフランスはあるが、助けてもらった恩人のアメリカを徹底して毛嫌いした時期はフランスにはある。ゴーロワ族のプライドがアメリカを許さなかったのかもしれない。
(ま、イタリア人やスペイン人が、ガリア戦記にあるとおり、なんて皮肉ることが今でもよくあるが)
さて、中華民国。大陸はすでに国土、領土からは消えているようだが。
香港を中華民国の領土、国土である、なんて主張したら、香港の居民はどう思うだろう?諸手を挙げて、よく言ってくれた、ありがとう、なんて中華民国に感謝するかいな?
解釈の違い、誤解、善意、これらは中国系がよく使う、詐欺の常套句。
現実には、「一中」という呼称は同じでも、概念の全く異なる、政治用語(ターム)を用いて、中華民国が、亡命政府よろしく正統性を主張しているようなモノで、(ま、この正統性という点では中共もかなり痛いところがある)、実際には「一中」の下に体制の異なる二つの中国があるワケではない。
異なる概念の「一中」を使用しているだけである。
よくよく中共の連中と対話してみることである。
どこぞの人たちが言うような楽観的な、というか、現実離れした、中華民国版「一中」など、全く通用しない、というのが厳然たる事実である。
さて、お話が随分と外れてしまったが、その北海道と沖縄の山田太郎を、こう分類したらどうだろう?
世界には、二種類の人間が存在する。同性愛者の山田太郎と、そうではない連中。この二種類しか世の中には存在しない。(過去ログで似たようなことを書いた記憶が)
世に例えはいろいろあるが、まぁ、あからさまに書くのもあれなので。。。
おかまとホモ(或いはゲイ、若しくはニューハーフ)の違いは、青江のママやいつも選挙に立っていた東郷(だったかな?)などのおかげで、大体は分かる。
しかし、おかまとの違いとして羅列した、ホモとゲイ(また、ソフトゲイとかハードゲイまで細分する人もいるが)の違いはどうもよく分からない。
ニューハーフはおかま、ホモ、ゲイとは全く違うことも分かる。
では、ホモとゲイはどう違うのか?
勿論、呼称が違う。ということは、素人でも、概念や定義が違うことはうすうす分かる。
ホモだち、という言葉があったが、ゲイだち、とは言わなかった。ホモにはホモのプライドがあり、ゲイにはゲイのプライドがある。しかし、呼称はどちらでもいい、という寛容派もいる。
で、これらを、もし仮に、総称して、同性愛者、と呼んだらどうなるか?
おかま、ホモ、ゲイ、ニューハーフ、それぞれの個々別々の文化、習慣をいっしょくたにするのは、文化的な日本国民としては、どうも気が引ける。あまりに乱暴な呼称である、と。。。
北海道に山田太郎というおかまが存在すると仮定しよう。
沖縄に、これまた、同姓同名の、ホモの(或いはゲイの)山田太郎が存在すると仮定しよう。
これを、山田太郎という名前は同じ、同姓同名だが、山田太郎の解釈が違う、とは誰も言わないだろう。
山田太郎は北海道と沖縄に併存するとも言わない。
ましてや同性愛者の山田太郎が北海道と沖縄に同時に存在するとも、言い難い。(言ってもいいがそのあまりにぞんざいな、乱暴な表現は問題)
北海道の山田太郎はおかまで、ホモではない、と主張する。わたしは沖縄の山田太郎とは違うのだ、と。。。沖縄の山田太郎、然り。
世に「一中」の解釈が異なるだけだ、と云うバカが多くいる。
しかし、精確には、「一中の解釈」ではなく、「一中の概念・定義」が異なるのである。
北海道と沖縄の山田太郎を、同性愛者でくくるか、男性でくくるか、山田太郎という氏名でくくるか、それはそれぞれの分類の仕方であろう。
しかし、山田太郎の解釈が北海道と沖縄では違う、とは言わないだろう。
概念・定義が異なる場合、呼称は同じだが、全く別物と見るのが普通。まともな判断である。
それが国の場合となると、一気に事は複雑となる。
先の大戦のフランスを見ればよい。
フランス亡命政府と親ドイツのフランス政府の二つがあった。しかし、現実には、政府として機能していたのは本土にいた親ドイツのフランス政府。
アメリカが助けてくれてやっと、亡命政府はお国に帰って、今度は、コラボ狩り。
それがいまだに続いている、フランスという国、ゴーロワという民族は憐れなモノである。コラボだって、必死に国を愛し守ろうとしたのだから。立場の違いであろう。
アメリカが助けてくれたそのおかげで今のフランスはあるが、助けてもらった恩人のアメリカを徹底して毛嫌いした時期はフランスにはある。ゴーロワ族のプライドがアメリカを許さなかったのかもしれない。
(ま、イタリア人やスペイン人が、ガリア戦記にあるとおり、なんて皮肉ることが今でもよくあるが)
さて、中華民国。大陸はすでに国土、領土からは消えているようだが。
香港を中華民国の領土、国土である、なんて主張したら、香港の居民はどう思うだろう?諸手を挙げて、よく言ってくれた、ありがとう、なんて中華民国に感謝するかいな?
解釈の違い、誤解、善意、これらは中国系がよく使う、詐欺の常套句。
現実には、「一中」という呼称は同じでも、概念の全く異なる、政治用語(ターム)を用いて、中華民国が、亡命政府よろしく正統性を主張しているようなモノで、(ま、この正統性という点では中共もかなり痛いところがある)、実際には「一中」の下に体制の異なる二つの中国があるワケではない。
異なる概念の「一中」を使用しているだけである。
よくよく中共の連中と対話してみることである。
どこぞの人たちが言うような楽観的な、というか、現実離れした、中華民国版「一中」など、全く通用しない、というのが厳然たる事実である。
さて、お話が随分と外れてしまったが、その北海道と沖縄の山田太郎を、こう分類したらどうだろう?
世界には、二種類の人間が存在する。同性愛者の山田太郎と、そうではない連中。この二種類しか世の中には存在しない。(過去ログで似たようなことを書いた記憶が)
これは メッセージ 14913 (aki_fumika さん)への返信です.
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