Re: 少し気にかかる報道あれこれ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2006/07/04 21:39 投稿番号: [12621 / 16409]
陳水扁は台北市長時代に、それまでの市長にはやれなかったことを、いくつかやった。たとえば14、15号公園(南京東路一段の北隣)の建設に成功した。あそこはもと日本人墓地だったが、大陸から蒋政権と共に逃亡してきた人々が占領して住所および商店街にしたので、歴代の台北市長が彼等を追い出すことができなかった。
赤柏村の住所敷地の一部が道路を占領しているのを、陳水扁市長が吐き出させた。これまでの市長にはできなかったことである。これに類する業績は、いくつもあったが、わしは例を挙げるほどには記憶していない。要するに陳水扁は市長時代に在台中国人の恨みを存分に買った。在台中国人である馬クンの「やい陳水扁、辞職しろ、さもないと無残な死に方をするぞ」は失言か?そうではあるまい。腹の底からの恨みが飛び出したのだろう。
陳水扁は市長時代に「基層」市民の恨みも買った。基層市民は大部分が台湾人だろうと思う。陳市長は黄色営業(日本語ではピンク営業)を抑えるに熱心だった。パチンコも禁止した。その結果夜間営業がたいせつな収入源だった屋台店やタクシー業が営業不振におちいった。1994年の市長選挙には陳水扁を支持した基層市民が、1998年には陳水扁の敵に投票して、陳水扁を落選させた。
2000年の総統選挙で陳水扁が当選したのは、投票日が近付いたころに、李遠哲が陳水扁支持を声明した影響が大きい。それまでは在台中国人媒体の反陳宣伝で、誰に投票したらよいかわからなくなって迷っていた台湾人のかなりの数が、李遠哲の声明を聞いて、陳水扁に投票したのである。李遠哲の声明がなかったら、宋楚瑜が当選したかも知れない。連戦は非民主の印象が強くて民衆に人気がなく、初めから当選の見込みがなかった。
陳水扁が市長だった時代の注目すべき功績は、捷運木柵線および淡水線の開通を決断したことである。捷運の建設は前任市長の時代に、完成間近まで来ていたが、開通に反対する勢力があった。ある市議員が、木柵線(高架線)の基柱は全部ひびがはいっている、通車したら全線崩れ落ちると宣伝して執拗に反対した。また木柵線の設計を提供したフランスの会社と争いが発生して、フランスの会社は運転の電脳ソフト引き抜いてフランスに帰ってしまった。捷運局はそれらの技術問題を自力で解決し、通車差し支えなしと陳市長に報告し、市長が通車の決断を下した。その後10年無事故で経営している。捷運局の技術の功と、陳市長の決断の功を認めなければならぬ。
淡水線については、陳水扁は市長就任のはじめから、安全を確かめてからでないと運営を開始しないと言明し、半年間の通車演習を実施した。それで安全性と従業員の熟練度を確かめてから通車を許可した。木柵線に遅れること1年、やはり無事故で運営されている。飛び込み自殺が1件あったようだが、あれは捷運局の責任ではない。
2000年の選挙で総統になった陳水扁は、わしの見るところでは第一に在台中国人の懐柔に着手した。そのころの自由時報の論調に「阿扁総統よ、あなたがどんなに外省人のご機嫌をとっても、この次の総統選挙のときにあなたに投票する外省人は居りませんぞ」とあったが、阿扁は方針を変えないで今日に至っている。
今回の総統罷免騒ぎは、2004年の総統選挙で再び負けた在台中国人が、その選挙開票終結直後、総統府前に集まって、民衆暴動で選挙の結果を覆そうと企てた暴動の継続である。在台中国人には、台湾人が総統になっているという事実を受け入れることができない。そのうえ阿扁が台北市長だった時代からの恨みがある。阿扁の娘婿の株不正取引疑惑は、阿扁の徳が至らないからだ・・・という言いがかりで台湾人総統を引き下ろして虐殺したいのが本心である。総統になった阿扁が何もできなかったのは、在台中国人が阿扁政府の政策にすべて反対して、政治の進行を食い止めたからである。阿扁に負け続けた口惜しさで、理性を失い、病弱の総統夫人を責め殺すことにためらいを感じない一群である。
赤柏村の住所敷地の一部が道路を占領しているのを、陳水扁市長が吐き出させた。これまでの市長にはできなかったことである。これに類する業績は、いくつもあったが、わしは例を挙げるほどには記憶していない。要するに陳水扁は市長時代に在台中国人の恨みを存分に買った。在台中国人である馬クンの「やい陳水扁、辞職しろ、さもないと無残な死に方をするぞ」は失言か?そうではあるまい。腹の底からの恨みが飛び出したのだろう。
陳水扁は市長時代に「基層」市民の恨みも買った。基層市民は大部分が台湾人だろうと思う。陳市長は黄色営業(日本語ではピンク営業)を抑えるに熱心だった。パチンコも禁止した。その結果夜間営業がたいせつな収入源だった屋台店やタクシー業が営業不振におちいった。1994年の市長選挙には陳水扁を支持した基層市民が、1998年には陳水扁の敵に投票して、陳水扁を落選させた。
2000年の総統選挙で陳水扁が当選したのは、投票日が近付いたころに、李遠哲が陳水扁支持を声明した影響が大きい。それまでは在台中国人媒体の反陳宣伝で、誰に投票したらよいかわからなくなって迷っていた台湾人のかなりの数が、李遠哲の声明を聞いて、陳水扁に投票したのである。李遠哲の声明がなかったら、宋楚瑜が当選したかも知れない。連戦は非民主の印象が強くて民衆に人気がなく、初めから当選の見込みがなかった。
陳水扁が市長だった時代の注目すべき功績は、捷運木柵線および淡水線の開通を決断したことである。捷運の建設は前任市長の時代に、完成間近まで来ていたが、開通に反対する勢力があった。ある市議員が、木柵線(高架線)の基柱は全部ひびがはいっている、通車したら全線崩れ落ちると宣伝して執拗に反対した。また木柵線の設計を提供したフランスの会社と争いが発生して、フランスの会社は運転の電脳ソフト引き抜いてフランスに帰ってしまった。捷運局はそれらの技術問題を自力で解決し、通車差し支えなしと陳市長に報告し、市長が通車の決断を下した。その後10年無事故で経営している。捷運局の技術の功と、陳市長の決断の功を認めなければならぬ。
淡水線については、陳水扁は市長就任のはじめから、安全を確かめてからでないと運営を開始しないと言明し、半年間の通車演習を実施した。それで安全性と従業員の熟練度を確かめてから通車を許可した。木柵線に遅れること1年、やはり無事故で運営されている。飛び込み自殺が1件あったようだが、あれは捷運局の責任ではない。
2000年の選挙で総統になった陳水扁は、わしの見るところでは第一に在台中国人の懐柔に着手した。そのころの自由時報の論調に「阿扁総統よ、あなたがどんなに外省人のご機嫌をとっても、この次の総統選挙のときにあなたに投票する外省人は居りませんぞ」とあったが、阿扁は方針を変えないで今日に至っている。
今回の総統罷免騒ぎは、2004年の総統選挙で再び負けた在台中国人が、その選挙開票終結直後、総統府前に集まって、民衆暴動で選挙の結果を覆そうと企てた暴動の継続である。在台中国人には、台湾人が総統になっているという事実を受け入れることができない。そのうえ阿扁が台北市長だった時代からの恨みがある。阿扁の娘婿の株不正取引疑惑は、阿扁の徳が至らないからだ・・・という言いがかりで台湾人総統を引き下ろして虐殺したいのが本心である。総統になった阿扁が何もできなかったのは、在台中国人が阿扁政府の政策にすべて反対して、政治の進行を食い止めたからである。阿扁に負け続けた口惜しさで、理性を失い、病弱の総統夫人を責め殺すことにためらいを感じない一群である。
これは メッセージ 12620 (aki_fumika さん)への返信です.
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