チベットの悲しみ:ペマ・ギャルポ氏
投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/03/23 00:12 投稿番号: [832 / 30899]
今日の産経1・3面ののペマ・ギャルポ氏のチベット情勢・チベットの歴史の解説は確かに興味深い内容だった。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/131681/
>私は53年6月、現在の四川省の甘孜(ガンズ)チベット自治州で生まれた。
父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私もあめ玉をもらったことがある。
ところが、それがある日、がらりと雰囲気が変わる。<
>今年開催される北京五輪のため、中国政府がチベットを「政治利用」していることに対する抗議の意味も強い。聖火リレーがチョモランマ(英語名エベレスト)を通過するのは、チベットが中国の一部であることを誇示するためだ。チベット人にとっては、それぞれの山に神がいる。山に登られること自体、抵抗がある。五輪のマスコットに使われているのは、チベットの動物であるパンダとチベット・カモシカだ。チベットにおける植民地支配を正当化するために、オリンピックを政治の道具にしている。
ラサまで伸びる青蔵鉄道の開通により、チベットへの「経済的侵略」が明確になってきたことに対する反発もある。鉄道開通によりコレクターらが文化財である寺院の骨董品や床の石などを買いあさっていく。だから、中国人の店が抗議対象になった。
チベットは希少金属などの鉱物資源も豊富だ。鉱物資源は青蔵鉄道で運ばれているともいわれている。鉄道は軍事的な目的も大きい。中国はソ連解体時、ミサイルを列車に乗せる技術を入手したといわれている。
中国政府は五輪開催が近づいてから問題が起きるより、3月10日のタイミングを使って、捕まえるべき人を捕まえようとしたのではないか。そのために、平和的なデモに対して挑発的な行為に出て、騒乱を引き起こしたと考える。
中国政府は暴動のシーンを発信することで、「仕方なく騒乱に対処するのだ」との印象を世界に与えようとしたのだろう。だがチベットには観光客がいた。IT(情報技術)も発達していた。中国が伝えようとしたことと異なる事実が世界に流れた<
>チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは、吐蕃王朝(7世紀初めから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。
中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは元の時代である。それから明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ国民に対して、正当性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)とお寺の住職(チベット)の関係だった。
檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。
1930年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍が、チベットに入ってきた。<
補足:
元の時代にチベット仏教サキャ派の高僧パスパ(パスパ文字で有名)が出て、フビライの帝師になり、モンゴル民族全体もラマ教徒になったこと。
元朝の中原支配終了後も、北元(タタール・オイラート時代を含むリンダンに至るモンゴル政権)はラマ教を奉り、さらに北元から皇位を受け継いだホンタイジ(清朝2代皇帝)以降の満州族(清朝)もラマ教を奉り続けたことを指すと思う。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/131681/
>私は53年6月、現在の四川省の甘孜(ガンズ)チベット自治州で生まれた。
父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私もあめ玉をもらったことがある。
ところが、それがある日、がらりと雰囲気が変わる。<
>今年開催される北京五輪のため、中国政府がチベットを「政治利用」していることに対する抗議の意味も強い。聖火リレーがチョモランマ(英語名エベレスト)を通過するのは、チベットが中国の一部であることを誇示するためだ。チベット人にとっては、それぞれの山に神がいる。山に登られること自体、抵抗がある。五輪のマスコットに使われているのは、チベットの動物であるパンダとチベット・カモシカだ。チベットにおける植民地支配を正当化するために、オリンピックを政治の道具にしている。
ラサまで伸びる青蔵鉄道の開通により、チベットへの「経済的侵略」が明確になってきたことに対する反発もある。鉄道開通によりコレクターらが文化財である寺院の骨董品や床の石などを買いあさっていく。だから、中国人の店が抗議対象になった。
チベットは希少金属などの鉱物資源も豊富だ。鉱物資源は青蔵鉄道で運ばれているともいわれている。鉄道は軍事的な目的も大きい。中国はソ連解体時、ミサイルを列車に乗せる技術を入手したといわれている。
中国政府は五輪開催が近づいてから問題が起きるより、3月10日のタイミングを使って、捕まえるべき人を捕まえようとしたのではないか。そのために、平和的なデモに対して挑発的な行為に出て、騒乱を引き起こしたと考える。
中国政府は暴動のシーンを発信することで、「仕方なく騒乱に対処するのだ」との印象を世界に与えようとしたのだろう。だがチベットには観光客がいた。IT(情報技術)も発達していた。中国が伝えようとしたことと異なる事実が世界に流れた<
>チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは、吐蕃王朝(7世紀初めから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。
中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは元の時代である。それから明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ国民に対して、正当性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)とお寺の住職(チベット)の関係だった。
檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。
1930年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍が、チベットに入ってきた。<
補足:
元の時代にチベット仏教サキャ派の高僧パスパ(パスパ文字で有名)が出て、フビライの帝師になり、モンゴル民族全体もラマ教徒になったこと。
元朝の中原支配終了後も、北元(タタール・オイラート時代を含むリンダンに至るモンゴル政権)はラマ教を奉り、さらに北元から皇位を受け継いだホンタイジ(清朝2代皇帝)以降の満州族(清朝)もラマ教を奉り続けたことを指すと思う。
これは メッセージ 824 (popsiajk93 さん)への返信です.
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