チベット

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

「マオ 誰も知らなかった毛沢東」 5

投稿者: out_of_china78 投稿日時: 2008/03/31 11:56 投稿番号: [3467 / 30899]
「マオ   誰も知らなかった毛沢東   (下)」   張戎(ユン・チアン)著   講談社
  文化大革命という大粛清への道        1961−66

<44章の要約>
  劉少奇は大飢饉を深く憂慮しており、1961年始めまでに3000万人が餓死したことも承知していた。そして毛沢東の暴走を止める方法を見つけようと心に誓っていた。河北省を視察してきた周恩来は「人々の食べ物といえば、木の葉、漬物、野草だけで、穀物は一粒たりとも残っていない」と毛沢東に伝えた。
毛沢東は最高幹部の間に自分に対する根深い不満があるのを感じていた。毛沢東は復讐を決意していた。こうして、数年後に毛沢東は文化大革命という名の大粛清を開始し、劉少奇を始めとする無数の人々を地獄に突き落とした。

<46章の要約>
毛沢東は大粛清の準備に取りかかった。個人崇拝を着々と強化し、教科書、出版物、報道など、あらゆる局面で毛沢東賛美が目立つようになった。自分に追従しないものは存在すら認めない環境を固めていった。
毛沢東が目指したのは、潤いを完全に排除した社会、文明をまったく消し去った社会、人間の感受性を圧殺した社会、何の感情も持たず毛沢東の命令に自動的に従う家畜のような人間の社会だった。大粛清に備えて、毛沢東は国民を脳死状態に置こうとしたのである。この点において、毛沢東はヒトラーやスターリンよりも徹底していた。毛沢東に完全に服従することこそが、究極の美徳とされた。個性の放棄に対する礼賛は、裏返せば毛沢東個人に対する礼賛であり、これに「国のため」「人民のため」という献身の衣が着せられた。
毛沢東は段階を踏んでこの大計画を進めることにし、まず最初の一撃を文化に向けた。この大粛清につけられた文化大革命という名は、ここに由来する。

  <48章>
1966年、毛沢東崇拝はますます強力に推し進められた。毛沢東バッジは48億個作られた。毛沢東の肖像も12億枚。赤い小さな「毛沢東語録」が国民全員に配布されたのも、この年の夏だった。
  6月、毛沢東は弾圧を始めた。社会を恐怖に陥れる手段として、手始めに、過激派の温床である中等学校や大学の若者を選んだ。学生たちは、「ブルジョア思想で学生の頭を汚染し試験で学生を迫害した」という理由で教師を糾弾するよう指導された。こうしたメッセージは耳障りな糾弾口調でラジオ放送され、街中のスピーカから大音量で流され、興奮と恐懼の入り混じった空気を作り出した。教師が最初に犠牲になった。教師は人民に文化を注ぎ込む立場にあり、若者にとって最も手近に攻撃できる対象だったからである。毛沢東は若者たちを野放しにして、やりたい放題の残虐行為を許した。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)