チベット

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Re: ◆弱者を装い反撃に出る狡猾な中国人◆

投稿者: southeastchinasea 投稿日時: 2008/03/29 14:12 投稿番号: [2693 / 30899]
そのとおりだ!
    ↓

◆弱者を装い反撃に出る狡猾な中国人◆


中国は1950〜51年「チベット解放」という名の侵攻・占領した。チベットに侵攻してそのまま占領、つまり侵略です。
チベット人120万人を死に追いやったことは覆い隠し、「漢族が5人殺された」などと弱者のふりをするのが、狡猾な中国人のやり方。

今回、読売新聞が「情報筋」の話として、「中国は『被害者』の立場を強調して、その上で攻勢に出る、これが中国のいつものやりかただ」と解説していました。そのとうりですね。

これを中国語で
『移花接木』(議論のすり替え・詭弁)と言います。
『死不認錯』(死んでも非を認めない)と並んで、中国人の伝統的な精神疾患です。

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■■中国のチベット侵略・中嶋嶺雄■■


チベット騒乱   国際教養大学理事長・学長   中嶋嶺雄
                      産経   08.3.20
周知のように戦争に世界の注目が集まっている中国は1950〜51年、朝鮮中、「チベット解放」という名の侵攻と占領を行った。1965年以後は、チベット自治区として今日にいたっている。
  チベット人はもちろん一貫してそれに抵抗してきた。そのピークが59年の「チベット動乱」である。しかし、中国の人民解放軍は徹底的な弾圧を加えた。富裕層や地主らを公衆の面前で銃殺に、あるいは生き埋めにし、僧侶を撲殺、焼殺するなどして、動乱を鎮圧したという。多くのチベット人が難民としてインドに逃れ、ダライ・ラマ14世もヒマラヤを越えての亡命を余儀なくされた。

  ≪犠牲者は累計120万?≫
  当時、中国語を学ぶ学生だった私は、北京放送が「(チベットを所管する)譚冠三将軍が道中のダライ・ラマと友好的に書簡を交わしている。彼は亡命したのではなく、帝国主義者とチベットの反動分子に拉致されたのだ」などと虚偽の放送を盛んに流していたのを覚えている。

チベットではその後も反乱が続き、87年の秋と88年の春にもラマ僧による蜂起があった。続く89年1月には、ダライ・ラマに代えて中国当局が擁立したパンチェン・ラマ10世が謎の急死を遂げている。
  「チベット動乱」から30年となるこの年、パンチェン・ラマの急死が引き金となる形でまたも大暴動が起き、同3月、中国史上初めての戒厳令がチベット自治区に敷かれた。

  当時の同自治区の最高責任者が今日の胡錦濤国家主席であり、胡錦濤はチベットで徹底的な弾圧を行った功績を買われて当時の最高権力者トウ小平により中央に呼び戻された指導者である。
 
その後、中国当局はチベットに懐柔策をとるようになる。89年12月、ダライ・ラマにノーベル平和賞が授与されたのがきっかけである。北京政府は「西部大開発」を掲げてチベットの観光振興に乗り出し、2006年7月には青蔵鉄道も開通したが、依然としてラマ教の布教を許可せず、政治犯も釈放していない。そうした状況下で、96年5月にも大きな反乱と中国当局による弾圧があった。
 
こうして抑圧→反乱→鎮圧という不幸な歴史が繰り返されてきたチベットでは、中国当局による一連の弾圧によって出た犠牲者の数が、120万人を超えるとさえ言われている。これは全チベット人口の5分の1以上に当たっている。その上に今回の暴動が再発したのである。
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