五斗米道
投稿者: gel_goo_goo 投稿日時: 2008/05/21 12:34 投稿番号: [25700 / 30899]
五斗米道(ごとべいどう)は、通説では後漢末に張陵(張道陵とも)が、蜀(四川省)の成都近郊の鶴鳴山(或いは鵠鳴山ともいう。現在の大邑県)で起こした道教教団。2代目の張衡の死後、蜀では張脩の鬼道教団が活発化したが、3代目の張魯がそれを乗っ取り、漢中で勢力を固めた。
五斗米道の名は、信者に五斗(約10リットル)の米を寄進させたことに由来する。張魯が張陵を『天師』として崇めたことから、後には『天師道』という呼称に変わり、さらに正一教と名を変えて現代まで残る。呪術的な儀式によって信者の病気を治癒せしめ、流民に対し無償で食料を提供する場を設けた。悪事を行ったものは罪人とせず3度まで許し、4度目になると罪人と評して道路工事などの軽い労働を課した。これらのことにより信仰を集め、さらに信者から構成される強固な自治組織が形成されていった。一般信者を鬼卒、それをまとめるものを祭酒、更にその上に治君・師君(張魯が号した)を置く階級制があった。
こうして五斗米道は、三国時代直前には漢中に宗教王国とも言える組織を形成したが、建安20年(215年)に曹操が漢中に侵入してくると、これに帰順する。五斗米道は帰順後も漢中支配を実質的に容認され、曹操の保護を受けながら信者を増やし続けた。その後、西晋が滅亡し東晋が東遷した時に、現在の江西省にある竜虎山へ拠点を移した。
国民党との結びつきが強かった第63代の張恩溥は台湾に亡命し、現在ではその後を受けた第64代天師の張源先が活躍中である。
これは メッセージ 25268 (gel_goo_goo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/a5aa5ya5ca5h_1/25700.html