■■人命を軽視した中国の対応■■
投稿者: feavoy 投稿日時: 2008/05/19 14:52 投稿番号: [25516 / 30899]
地震発生以降の共産党政府は、「中国が自力でこの災害を乗りきる」と表明して、外国の救助支援の申し入れを拒絶していた。その後、3日が経過してから、外国の救助受け入れを、改めて容認した。
しかし、「生き埋めになった人の限界点とされる72時間以内の救助」が最重要課題であり、その期限を過ぎてからの救助受け入れは、判断ミスである。
地震発生当初から、数万人が生き埋めになっていることが分かっていた。その時点で、まずやるべきことは、「災害救助のエキスパート」と「そのための専用機材」の大量導入である。とくに、音声探知機や災害救助犬などの高度な装備が整った外国の救助隊は、一刻も早く受け入れるべきであった。
首相の現地入りを大々的にアピールしている場合ではない。
■四川大地震から1週間、「もっと早く」と唇かむ日本隊
5月19日0時6分配信 読売新聞
【北川チャン族自治県(中国四川省)=槙野健】つぶれた校舎の周りで捜索を見守る生徒の家族たち。その期待に応えようと、日本の国際緊急援助隊の救助活動が18日、猛暑の中で懸命に進められた。しかし、すでに発生から7日目となり、見つかるのは遺体ばかり。見守る家族は悲痛な表情を浮かべ、隊員たちも「もっと早く救助活動ができていれば」と唇をかんだ。
倒壊した「北川第一中学校」の校舎はコンクリート造りの5階建てだが、1階と2階が完全につぶれた状態のため、3階建てに見える。窓ガラスが割れ、壁にはいたるところにひびが入り、教室内では、蛍光灯のコードが天井からだらりとぶら下がっている。
作業は午前8時に始まった。日が昇るに連れ、気温が上がり、約30度に。長袖に手袋、マスクをした隊員たちに日差しが容赦なく照りつけ、作業現場近くに置かれた大量のミネラルウオーターのペットボトルは、瞬く間に減った。
援助隊は通訳を介し、北京や瀋陽など中国各地から来た消防隊らと協力しながら作業を進めた。校舎の下に穴を掘ってすき間を作り、次々と中の遺体を担架で運び出していた。
校舎の周りでは、取り残されたとみられる生徒の家族らが、目に涙を浮かべながら作業を見守った。
同校には、日本の中1〜高3にあたる生徒約1500人が通っており、まだ相当数が下敷きになっているとみられる。別の学校に通学する蒋程程さん(15)は、高校2年の兄が逃げ遅れた。兄の人柄を尋ねると、たまらず大粒の涙を流し、その場に座り込んだ。
陳紀均君(18)が1階に閉じこめられているという父親(41)は、地震発生翌日から毎日、校舎の前に通う。「優秀な日本の援助隊に感謝している。ただ、遅すぎる」とやりきれない表情を見せた。
一方、隊員たちもいらだちを募らせている。第1陣が中国側から最初に割り当てられた広元市の青川県では道がふさがるなどのトラブルがあり、次に指定された曲山地区までは約300キロ走行しなければならず、17日はほぼ終日を移動に費やした。
18日の作業を終えた若い隊員の一人は「招かれたことはありがたいが、もっと早く呼んでほしかった」と悔しさをにじませていた。
しかし、「生き埋めになった人の限界点とされる72時間以内の救助」が最重要課題であり、その期限を過ぎてからの救助受け入れは、判断ミスである。
地震発生当初から、数万人が生き埋めになっていることが分かっていた。その時点で、まずやるべきことは、「災害救助のエキスパート」と「そのための専用機材」の大量導入である。とくに、音声探知機や災害救助犬などの高度な装備が整った外国の救助隊は、一刻も早く受け入れるべきであった。
首相の現地入りを大々的にアピールしている場合ではない。
■四川大地震から1週間、「もっと早く」と唇かむ日本隊
5月19日0時6分配信 読売新聞
【北川チャン族自治県(中国四川省)=槙野健】つぶれた校舎の周りで捜索を見守る生徒の家族たち。その期待に応えようと、日本の国際緊急援助隊の救助活動が18日、猛暑の中で懸命に進められた。しかし、すでに発生から7日目となり、見つかるのは遺体ばかり。見守る家族は悲痛な表情を浮かべ、隊員たちも「もっと早く救助活動ができていれば」と唇をかんだ。
倒壊した「北川第一中学校」の校舎はコンクリート造りの5階建てだが、1階と2階が完全につぶれた状態のため、3階建てに見える。窓ガラスが割れ、壁にはいたるところにひびが入り、教室内では、蛍光灯のコードが天井からだらりとぶら下がっている。
作業は午前8時に始まった。日が昇るに連れ、気温が上がり、約30度に。長袖に手袋、マスクをした隊員たちに日差しが容赦なく照りつけ、作業現場近くに置かれた大量のミネラルウオーターのペットボトルは、瞬く間に減った。
援助隊は通訳を介し、北京や瀋陽など中国各地から来た消防隊らと協力しながら作業を進めた。校舎の下に穴を掘ってすき間を作り、次々と中の遺体を担架で運び出していた。
校舎の周りでは、取り残されたとみられる生徒の家族らが、目に涙を浮かべながら作業を見守った。
同校には、日本の中1〜高3にあたる生徒約1500人が通っており、まだ相当数が下敷きになっているとみられる。別の学校に通学する蒋程程さん(15)は、高校2年の兄が逃げ遅れた。兄の人柄を尋ねると、たまらず大粒の涙を流し、その場に座り込んだ。
陳紀均君(18)が1階に閉じこめられているという父親(41)は、地震発生翌日から毎日、校舎の前に通う。「優秀な日本の援助隊に感謝している。ただ、遅すぎる」とやりきれない表情を見せた。
一方、隊員たちもいらだちを募らせている。第1陣が中国側から最初に割り当てられた広元市の青川県では道がふさがるなどのトラブルがあり、次に指定された曲山地区までは約300キロ走行しなければならず、17日はほぼ終日を移動に費やした。
18日の作業を終えた若い隊員の一人は「招かれたことはありがたいが、もっと早く呼んでほしかった」と悔しさをにじませていた。
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