結局は人権の水準の問題
投稿者: mariatips 投稿日時: 2008/05/15 11:37 投稿番号: [24997 / 30899]
結局のところ、チベット暴動にしても、
今回の地震災害にしても、確からしい情報はなにもない。
確からしさとは、当該事項の内容について、
複数の情報源から発せられることで、
その積み重ねにより、その信憑性がより高くなる。
確からしいのは、暴動があったこと、大きな地震があったこと。
それにより多くの被害者が出たこと。
これらに対して、社会の一般的見地から見た人権に基づく、
救済措置が、充分にになされたかどうかが、
情報遮断により、充分な確からしさをもって明らかにされていない。
中国とそれ以外の国では、社会の一般的見地から見た人権には
多少の違いはあろう。
しかし、オリンピックのような国際的トップレベルの催しをするぐらいになれば、
当然ながら、ある一定の水準の、相互に了解が得られる程度の人権は、
保障されていなければならない。民度の高さはその結果に現れる。
残念ながら、サッカーワールドカップの中国開催は夢のまた夢である。
チベット暴動、チベット震災は、
図らずもがな、中国という国が、
国レベルで、どのような人権政策を採っているかを、
明るみにさらす結果となった。
数百万人レベルの被害・災害救済より、何かを隠したい、
チベットの人々を外国人から遠ざけておきたい。
近辺にいかなる機密事項があるかは知らないが、
そういう人権政策であるということだ。
情報を一般に公開しないことの怖さが分かるだろうか。
そして、今後変わるなら、公開することの怖さも分かるだろうか。
公開しないことをこれからも積み重ねるとして、その怖さはいかほどだろう。
それらの選択権がチベットの人々になく、国民になく、
中央政府にのみ握られていることを、
中国という国が、そういう人権(知る権利や生きる権利などを含むあらゆる権利)の水準の国であることを、
国際的催しであるトーチリレーで、
親善のためのその国の国旗を振らず、
外国で五星の赤旗ばかり振った人々は、どのように考えているのだろう。
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