Re: チベット亡命政府はチベット人の代表か
投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/05/02 20:43 投稿番号: [20631 / 30899]
下の映像を確り見ろ。ダライラマ亡命政府にチベット人を代表するlegitimacy(正当性)があるのは明らか。
君らのよくやる、Aをどう屁理屈をこねても肯定できないので、仕方なく否定しておいて、返す刀で全然関係ないBまで否定してやろう、というみっともない手法は、もう止めなさい。
きちんと筋の通った内容で勝負してくれ。
---------- -
◆Tibet The Story Of A Tragedy(チベット:悲劇の物語)
http://fr.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc
※英語のみ・55分43秒と長いが、非常に貴重な映像
特に、43分過ぎの文化大革命時の破壊された寺院の映像から先は必見の価値あり。作り物ではない真のチベット人の表情が写されている。
"Never believe the Chinese, never. Tell the Dalai Lama, not to come back."(46分過ぎ)
1989年のラサでの騒乱時の映像、ダライラマのノーベル賞受賞式の映像もある。
◆チベットの歴史
http://www.tibethouse.jp/history/index.html
◆現在のチベットの状況
http://www.tibethouse.jp/situation/index.html
◆チベットの哀しみ−ペマ・ギャルポ氏
私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。
それは1957年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな団体だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたらしい。
人々の話では、一番辛かったのは、人民裁判で、奥さんが旦那(だんな)さんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなければならなかった。
僕の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの1人だ。
その下の母には、そっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺して見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。
先代のパンチェン・ラマが亡くなる3カ月前に東京の中国大使館で会った。そのとき、一番辛かったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間独房に入れられていた。僕たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。
チベット人で、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。
君らのよくやる、Aをどう屁理屈をこねても肯定できないので、仕方なく否定しておいて、返す刀で全然関係ないBまで否定してやろう、というみっともない手法は、もう止めなさい。
きちんと筋の通った内容で勝負してくれ。
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◆Tibet The Story Of A Tragedy(チベット:悲劇の物語)
http://fr.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc
※英語のみ・55分43秒と長いが、非常に貴重な映像
特に、43分過ぎの文化大革命時の破壊された寺院の映像から先は必見の価値あり。作り物ではない真のチベット人の表情が写されている。
"Never believe the Chinese, never. Tell the Dalai Lama, not to come back."(46分過ぎ)
1989年のラサでの騒乱時の映像、ダライラマのノーベル賞受賞式の映像もある。
◆チベットの歴史
http://www.tibethouse.jp/history/index.html
◆現在のチベットの状況
http://www.tibethouse.jp/situation/index.html
◆チベットの哀しみ−ペマ・ギャルポ氏
私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。
それは1957年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな団体だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたらしい。
人々の話では、一番辛かったのは、人民裁判で、奥さんが旦那(だんな)さんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなければならなかった。
僕の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの1人だ。
その下の母には、そっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺して見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。
先代のパンチェン・ラマが亡くなる3カ月前に東京の中国大使館で会った。そのとき、一番辛かったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間独房に入れられていた。僕たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。
チベット人で、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。
これは メッセージ 20624 (yorika3 さん)への返信です.
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