道徳・人権のない国 中国
投稿者: gainsto 投稿日時: 2008/03/26 17:40 投稿番号: [1999 / 30899]
中国はいかにチベットを迫害したか
【毛沢東時代から今までチベットは迫害され続けてきた】
『マオ
誰も知らなかった毛沢東』
ユン・チアン
講談社
下巻
第24章
チベット動乱
1959年
毛沢東はさまざまな迫害を行った。パンチェン・ラマの父親や家族を含めて、多数のチベット人が批闘会に引き出された。「人々は目、耳、口,鼻から血を流すまで殴られ、手足の骨を折られて気を失った。あるいはその場で死亡した」と、パンチェン・ラマが書いている。チベット史上初めて、自殺が珍しくない行為になった。
圧倒的多数のチベット人が毛沢東政権に抵抗する運動に加わったため、中国軍はチベット人をすべて敵として扱った。成人男性の大多数がまとめて検挙された。チベット族全体の15〜20%、おそらく成人男性の半数が投獄され、人間以下の扱いを受けて、死ぬまで重労働させられた。重い犂を引く囚人たちに針金の鞭が打ち下ろされた。
反乱の平定を行った中国軍は、残虐極まりない行為を行った。ある場所では、死体が山からひきずりおろされて大きな穴に埋められた後、遺族が呼び集められ、中国兵から「我々は匪賊を殲滅した。今日はめでたい日だ。おまえたちみんな、穴の上で踊れ」と言われたという。
残虐行為と平行して、文化の抹殺も進められた。公式に『大破壊』と呼ばれる運動で、チベットの生活習慣全体が「後進的で不潔で無用」であるとして激しく攻撃された。
毛沢東は宗教を破壊しようと決めていた。僧と尼僧は独身主義を破戒することを強いられ、結婚させられた。経典は肥料にされ、仏画でわざと靴を作らされた。常軌を逸した大破壊だった。僧院や尼僧院はほとんどが破壊され、その跡はまるで戦争で爆撃を受けたような惨状だったという。
1959年以前にはチベットに2500以上あった僧院・尼僧院が1961年にはわずか70余りに減ってしまった。11万人以上いた僧・尼僧は7000人に減ってしまった。約1万人は国外へ逃亡した。
これは メッセージ 1988 (tyantof さん)への返信です.
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