チベット

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Re: チベットでの一連の事件

投稿者: lb888666 投稿日時: 2008/04/24 23:35 投稿番号: [16443 / 30899]
チベットは元の時代に中国と一緒になった。ダライラマ5世から政教合一の政権となった、ダライラマ5世の選択した時が政争する2派が各自の人間が選びましたが、実力によって蒙古人に決めた。6世が女好きで、毎日夜女が欠けない存在でした、(6世の愛情詩が今も残しています)。これを理由にして、摂政王が権力を渡したくないので、争いが激しくて、6世は宗教の権力を他人に渡しが、政治のは保留するということにしたが、相手が許しでした、たくさんの人が命まで落ちた。当時の清帝が怒って、6世を北京に押解するようと命じましたが、途中で病気によって死んだ。7世とき1751年が清帝もう一回政教両方の権力に渡った、9、10、11、12世ダライ全て未成年で暗殺された。清帝1792年もう一回管理制度を完善しました。13世の時1904年英国の侵略があって13世蒙古に逃げた、清帝がダライラマの封号を剥き、新しいのダライを探している最中、1910年ダライ13世が北京に行って、許したのでチベットに戻った、後、中国内戦、1923年チベッチでも二人の宗教リーダが争いして、パンチェン・ラマ9世が中国内地に行った。今のチベット自治区面積、行政区画も1902年で決めた、国民党から続けて共産党政権に渡った。1945年国民党の全国代表大会があって、チベットも体表を派遣しました。ダライ14世の決めるにも清帝時と同じことが国民政府がした。1949年パンチェン・ラマ10世は中央政府(今の共産党)に要請があって、1950年人民解放軍がチベットにいり、1956から共産党政権は少数民族で土地改革が実行、貴族、僧侶(チベット37%の土地が寺院に占有)の利益を損ないました。それが反乱が起こった。1959年ダライ14世がインドに亡命。
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