Re: 希望来自sinjitu的中国人的反論
投稿者: choro_virtue 投稿日時: 2008/04/24 09:48 投稿番号: [16074 / 30899]
中国人はウソを100回いえば、そのうち真実になると思っているんだね。清時代、チベットが独立してたことは中国自身が認めていた。駐蔵大臣とは、駐チベット大臣の意味であって、中国が外交使節を派遣していたということにすぎない。
当時の中国の行政区域を示す「省」には総督(軍事)、巡撫(行政)が派遣され、駐蔵大臣などと呼ぶはずがない。加えて、清末、1902年、現在の四川省西部には「西康」省が新設された。これはチベットとの境界線を明らかにする意味であって、反対にチベットが自国にないことを明確にする処置であった。また「西康」の漢字は「西を安んずれ」を意味する。
清のチベットへの外交は独立国(朝鮮のような朝貢国ではない)としてのものであった。清や北京政府はチベットの扱いについて、ネパールは関係の薄い国であって、侵略されても軍隊を派遣することはないが、チベット防衛については軍隊を派遣するとイギリス(当時インドは英領)に返事している。
ただし、中国とは伝統的に2枚舌国家であって、日朝修好条規で朝鮮の独立を認める(当時、清は宗主国として振舞っていた)副署を行っておきながら、日清戦争宣戦上諭では「朝鮮は清の属国であり貢物を欠かさなかった」と宣言した。要は、貢物は欲しかったが防衛義務は果たしたくなかった(できなかった)。
そしてエポックメーキングなのは1907年の英露協商で、両国は、チベット(アフガニスタン、イランと並行し)を緩衝国として認め、相互に侵犯しないことを約束した。北京政府・国府、いずれもチベットについてはこの趣旨を了解しており、駐蔵大臣を廃止(金銭的余裕がなくなった)し、いっさい軍隊を入れなかった。つまり、チベットの独立は英露中三カ国で承認されていた。
チベットに軍隊をおくり、チベット人を虐殺したのは中国共匪であって、イノド首相ネルーの「第三世界ボケ」につけいったものだった。インド独立がチベットの悲劇を招いたことは否定できない。
これは メッセージ 16061 (harahorohire2010 さん)への返信です.
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