朝青龍「ダライ・ラマは師」
投稿者: alas_and_alack2008 投稿日時: 2008/04/23 22:05 投稿番号: [15838 / 30899]
蒙古襲来で有名なフビライ汗の時代からモンゴルはチベット仏教(ラマ教)を信奉し続けていると聞いていましたが、横綱朝青龍の記事が今日の読売新聞夕刊に出てました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080423-00000028-yom-spo
◆朝青龍「ダライ・ラマは師」…謹慎中、チベット高僧が激励
4月23日14時56分配信 読売新聞
【ロンドン=森千春】「ダライ・ラマは、私の尊敬する師です」−−。横綱朝青龍が、本場所への出場を禁じられていた試練の時期に、自ら信仰するチベット仏教の高僧と、信仰について語り合い、精神的な励ましを受けていたことが、関係者の証言で明らかになった。
この高僧は、チベット仏教サキャ派の次期座主の地位にある、ラトナワジラ・リンポチェさん(インド北部デーラドゥーン在住)で、モンゴル訪問中の昨年10月初め、朝青龍が療養生活を送っていたホテルに招待されて面会した。
通訳にあたったモンゴル人僧、オトゴンバータル・バダムさんによると、朝青龍は「ダライ・ラマは、数々の苦難に負けていない」と、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世への尊敬の念を吐露。出場停止の「問題」を抱えていると打ち明けて、自ら請うて加持を受けた。面会は約1時間で、朝青龍は、「私は再起します」と力強く約束したという。
モンゴルは、チベット仏教が主流宗教で、インド在住のチベット人僧らとの交流も盛んになっている。
(参考情報)
◆パスパ(チベット仏教サキャ派座主)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%91
◆ペマ・ギャルポ氏のチベット情勢とチベットの歴史の解説
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/131681/
>チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは、吐蕃王朝(7世紀初めから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。
中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは元の時代である。それから明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ国民に対して、正当性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)とお寺の住職(チベット)の関係だった。
檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。
1930年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍が、チベットに入ってきた。<
⇒13世紀半ばのモンゴル帝国(=元)の時代にチベット仏教サキャ派の高僧パスパが出て、フビライ汗の信頼を得て帝師となり、以降モンゴル人はチベット仏教を信奉し続けている。
また17世紀に元の後継である北元の最後の皇帝リンダン汗を破って大汗位を奪取した後金(後の清)のホンタイジ皇帝ら満州族もモンゴル族と同様チベット仏教を信奉し続けたので、元〜北元〜清と続く歴代の政権は、チベットを大切な聖域として保護し続けた。なお漢民族の明は、元の後継である北元に常に武力に劣り圧迫され続けたため、その勢威がチベットに及ぶことはなかった。
辛亥革命で清の皇帝が退位すると、チベットはモンゴルとともに独立を宣言した。(のちにウイグルも独立を宣言)
従って、毛沢東が武力侵攻するまでチベットが漢民族の支配下に置かれたことは一度もない。
現在の中国政府の「チベットは歴史的に中国(=漢族政権)の一部」という主張は、"真っ赤な嘘"である。
◆チベットの歴史
http://www.tibethouse.jp/history/index.html
◆大高未貴さんのチベット・レポート
http://jp.youtube.com/watch?v=YZv-BDiYhNg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=nmytj1JO0TA&feature=related
◆チベット問題 大高未貴氏に聞く
http://kukkuri.●pn.org/boyakikukkuri2/log/eid287.html
●⇒j
なぜか直
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080423-00000028-yom-spo
◆朝青龍「ダライ・ラマは師」…謹慎中、チベット高僧が激励
4月23日14時56分配信 読売新聞
【ロンドン=森千春】「ダライ・ラマは、私の尊敬する師です」−−。横綱朝青龍が、本場所への出場を禁じられていた試練の時期に、自ら信仰するチベット仏教の高僧と、信仰について語り合い、精神的な励ましを受けていたことが、関係者の証言で明らかになった。
この高僧は、チベット仏教サキャ派の次期座主の地位にある、ラトナワジラ・リンポチェさん(インド北部デーラドゥーン在住)で、モンゴル訪問中の昨年10月初め、朝青龍が療養生活を送っていたホテルに招待されて面会した。
通訳にあたったモンゴル人僧、オトゴンバータル・バダムさんによると、朝青龍は「ダライ・ラマは、数々の苦難に負けていない」と、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世への尊敬の念を吐露。出場停止の「問題」を抱えていると打ち明けて、自ら請うて加持を受けた。面会は約1時間で、朝青龍は、「私は再起します」と力強く約束したという。
モンゴルは、チベット仏教が主流宗教で、インド在住のチベット人僧らとの交流も盛んになっている。
(参考情報)
◆パスパ(チベット仏教サキャ派座主)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%91
◆ペマ・ギャルポ氏のチベット情勢とチベットの歴史の解説
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/131681/
>チベットは2100年以上の歴史を持つが、チベット人が一番誇りに思っているのは、吐蕃王朝(7世紀初めから9世紀中ごろ)の時代だ。チベットが中国にかいらい政権をつくっていたこともあった。
中国とチベットはお互いに、仲良く過ごした時代もある。最も仲が良かったのは元の時代である。それから明、清の時代と続くが、この時代はたとえば、ナポレオンが皇帝になっても、ローマ法王の認知と後押しがなければ国民に対して、正当性をもてないように、中国の歴代皇帝とダライ・ラマもそんな関係に似ていた。檀家(だんか)とお寺の住職(チベット)の関係だった。
檀家が偉いか、住職が偉いかは時代によって違うが、チベット側からすれば、自分たちの方が聖職で偉いと思っていた。こうした関係は1900年代まで続いた。
1930年代、チベットには中国の支配が及んでいなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、朝鮮戦争のどさくさにまぎれ、人民解放軍が、チベットに入ってきた。<
⇒13世紀半ばのモンゴル帝国(=元)の時代にチベット仏教サキャ派の高僧パスパが出て、フビライ汗の信頼を得て帝師となり、以降モンゴル人はチベット仏教を信奉し続けている。
また17世紀に元の後継である北元の最後の皇帝リンダン汗を破って大汗位を奪取した後金(後の清)のホンタイジ皇帝ら満州族もモンゴル族と同様チベット仏教を信奉し続けたので、元〜北元〜清と続く歴代の政権は、チベットを大切な聖域として保護し続けた。なお漢民族の明は、元の後継である北元に常に武力に劣り圧迫され続けたため、その勢威がチベットに及ぶことはなかった。
辛亥革命で清の皇帝が退位すると、チベットはモンゴルとともに独立を宣言した。(のちにウイグルも独立を宣言)
従って、毛沢東が武力侵攻するまでチベットが漢民族の支配下に置かれたことは一度もない。
現在の中国政府の「チベットは歴史的に中国(=漢族政権)の一部」という主張は、"真っ赤な嘘"である。
◆チベットの歴史
http://www.tibethouse.jp/history/index.html
◆大高未貴さんのチベット・レポート
http://jp.youtube.com/watch?v=YZv-BDiYhNg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=nmytj1JO0TA&feature=related
◆チベット問題 大高未貴氏に聞く
http://kukkuri.●pn.org/boyakikukkuri2/log/eid287.html
●⇒j
なぜか直
これは メッセージ 14784 (alas_and_alack2008 さん)への返信です.
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