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Re: 人殺しはお断り!

投稿者: jajajajaja_pon 投稿日時: 2008/04/16 19:38 投稿番号: [10711 / 30899]
■満州事変の原因
ソ連は東支鉄道及び満州の北西地域を完全に影響下におさめ、中国共産党を支援して東満州に
共産軍の遊撃区を構築して反日闘争を展開した。
これにより、大正中期より東満州は共産パルチザンによる暴動の巷(ちまた)となり、昭和6(1931)年まで108件にも及ぶ事件が起こった。
その中でも特に大きな事件は、昭和5(1930)年に間島省で日本人44名が殺害された暴動事件である。
  その結果、満州の日本人社会においては、次は中国共産党の正規軍による反日暴動が起こるのではないかという危機感が高まることとなった。
  一方満州の支配者であった張作霖(ちょうさくりん)は、
アメリカ民主党の力を背景にしながらこの地域における排日運動を推進した。
  満鉄への経営妨害、炭鉱など鉱山の採掘権の否認、鉱物の輸送制限、
付属地の買収禁止、その他農林水産業への妨害、二重課税などの不当課税による商業活動の妨害、
日本人や朝鮮人への立ち退き命令などが行われ、これらによって日本人居留民の生活は危機に瀕した。
排日事件は昭和2年に31件、3年に37件、4年に77件、5年に95件の合計240件に及んだ。
  これに在満朝鮮人(当時日本国籍)への迫害や殺害事件などを加えると、
事変発生当時満州をめぐる日本と中国との間の懸案は、実に300件を上回った。
満州事変直後には満州では日本人居留民が生活出来ないまでになっていた。満州事変は以上のようなおびただしい排日テロ事件が繰り返されたのちに、これを解決すべく起こった事変であった。
◎通州で起こった中国保安隊による邦人虐殺事件。
当時通州は親日自治政府が治めていたが、盧溝橋で日本軍が敗退したというデマを信じ、
3000人もの保安隊と暴民が29日午前四時ごろ急襲したとされる。(盧溝橋事件は停戦協定が結ばれ日中戦争の原因では無い)
通州にすむ日本人(朝鮮人含む)380人のうち250人が惨殺されたが、
殺され方が尋常でなかった。
強姦された後に殺された婦人の局部には竹や箒が突っ込まれていたり、
手足が切断されていたり、内臓が引きずり出されたりしていた。「廬溝橋事件」発生直後の
日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に
『停戦協定』が成立していました。要は、日本としては支那とこれ以上、事を構えたくはなく、
日本は支那との全面戦争は欲していなかった。
しかし、支那は日本側のそんな期待を裏切って、日本人を虐殺した「通州事件」を起こしました。
当然ながら、日本の世論は「支那を撃つべし!!」と激怒沸騰しました。
この時も、まだ日本軍は隠忍自重し、本格的な戦端を開こうとはしませんでした。しかし支那は、「通州事件」後の8月13日、上海租界の日本人居留民を保護する目的で
駐屯していた小部隊の日本海軍陸戦隊に対して、国民党正規軍10個師団(20万人)もの
大兵力で攻撃してきたのです(第二次上海事変)。中国軍の横暴によって支那事変(日中戦争)が始まったのです。
*なお、満州は歴史的に漢民族の国ではなく満州事変は日中戦争では無い。
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