民族の名の下に
投稿者: slcfight 投稿日時: 2004/08/10 20:38 投稿番号: [6851 / 21882]
今、日中両国の掲示板にある文を読んでいると、不思議とナチスがユダヤ人に対して言っていたことに似ている。
民族に独自性・特殊性はいろいろあると思うが、優位性とかはない。
よく中国・韓国では「歴史に学び」と言うが、それは民族の恥辱、優位性を学んで民族のアイデンティティを確立するための物ではなく、人類は大きく言えば有史以来考え方もすることも余り変わっていない中で、どうやってよりよい未来を作るかを考えるべきだと思う。
もしそうでないのなら、自国以外の歴史を学ぶ理由がなくなる。
中国・韓国は政治的一手段として歴史教育を弄んではいけない。歴史に対して失礼である。その結果が今の歪んだ国民感情に繋がっているのだから。
それとともに、それにつられて日本人までもが「中国人は」とか「シナ人は」とか民族をひとくくりにして非難するのもいけないと思う。結局どこの国にもいい人もいれば悪い人もいれば変な人もいるんだから。
民族単位で相手に対して感情的なものを持つことがどれだけ危険なことかを20世紀にナチスが見せてくれたではないか。
キング牧師ではないが私には夢がある。いつの日にか,私の東アジアの人たちがどこの国の人かによってではなく,人となりそのものによって評価されるときが来るという夢を。
なんてな。
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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