責任追及に関して
投稿者: sakurasola 投稿日時: 2004/08/10 20:01 投稿番号: [6777 / 21882]
この掲示板では初めまして。スポーツそのものに興味無かったので、ニュースを見て驚きました。スポーツは娯楽だと思っていたからです。
>原爆
私の父は原爆投下の年に生まれ、広島にあった屋敷は跡形も無くなりました。赤穂浪士」をご存じないかもしれませんが、その47人の1人として私の祖先が遺されたものも当然失いました。
しかし、私や父、父の兄弟たちはアメリカなどの当時の連合国に賠償させようとは思っていません。なぜなら、戦争は自分の側にある国と相手側にある国が立ち向かわなければできないことなのです。これは、「罪を犯したのは両方である」ことを意味します。つまり、「加害者」となった国々と「被害者」となった国々は、まるで鏡のようになっているのです。事実であればあるほど、双方に配慮も必要です。こちら側がしなければならい配慮とは、「こちらでは、亡くなった方はカミ(=ヒトとは違う存在)になる」と説明し、理解してもらわなければならないことでしょう。これは、相手の協力が必要です。
liuyinghuanchnさんは、中国の方でしょうか? 偶然にも、夏休みに入る前(7月頃)中国出身の友人と靖国神社について話したことがありました。もちろんその方もあなたと同じことを言っていました。「罪を犯したのに、なぜ神社に祭られているんだ」と。罪を犯した事実は「敗戦国」として、どんなに不満な方法であっても、裁かれたのです。一度裁かれた人は、釈放されます。罪を一度裁かれたので、彼らがもう一度裁かれなくてはならない理由が、無いのです。
そして、神道によって神社にお祭りされているので、神道ではない人たちに理解されないこともあるでしょう、ともその人に話しました。しかしその人は「日本にある宗教は中国から入ってきたんだ」と譲りません。…確かにその可能性はあります。中国で言う「皇帝」と日本で言う「天皇」という言葉が似ていると思えます。しかし、皇帝はまったく別の人に変わってしまう可能性があるのに、天皇には、それが無いのです。また、中国に作られた神社が壊されてしまったことで、日本と中国の宗教観が違っていることがはっきりしているかと思います。神社は、祟りを恐れて造る施設なので、壊したり移転したりということは、ほとんどありえないはずですから。と、いう理由で、「靖国神社」の話題に関してはどちらかといえば「傷への補償の必要性」よりも「宗教観の差と怨みの感情の温度差」の問題だと考えます。
>人間じゃないことをやった人に対して、日本人はどういう風に認識すべきか?罪人か?Heroか?
いまだに善し悪しの一方に定義されていない人が記録の中にいることを考えると(例:ワカタケル大王)、どちらにもなりえると予想します。なぜなら、傍から見て狂ってたと思える東条氏らは、その当時には「国のため」と思っていたわけです。ここは、被害者としては理解できないことと思います。そして、彼らが原因で相当の被害があったと考える人は、彼らを悪者として見ることができます。
長くなりましたが、私が主張したいのは次のことです。
ぜひお墓の中まで追いかけず、現在と未来のことを考えてください。
そして、恐ろしいことですが、それぞれに知らないことやわからないことがあり、それは当然なのです。残酷なことをしたのは、両方です。原因は、戦争です。守りきれなければ、どうしようもないことがあります。だから、あの戦争の後、できるだけ戦争を回避する動きがあるのです。911以後、状況は少しずつ変わりつつありますが。
>原爆
私の父は原爆投下の年に生まれ、広島にあった屋敷は跡形も無くなりました。赤穂浪士」をご存じないかもしれませんが、その47人の1人として私の祖先が遺されたものも当然失いました。
しかし、私や父、父の兄弟たちはアメリカなどの当時の連合国に賠償させようとは思っていません。なぜなら、戦争は自分の側にある国と相手側にある国が立ち向かわなければできないことなのです。これは、「罪を犯したのは両方である」ことを意味します。つまり、「加害者」となった国々と「被害者」となった国々は、まるで鏡のようになっているのです。事実であればあるほど、双方に配慮も必要です。こちら側がしなければならい配慮とは、「こちらでは、亡くなった方はカミ(=ヒトとは違う存在)になる」と説明し、理解してもらわなければならないことでしょう。これは、相手の協力が必要です。
liuyinghuanchnさんは、中国の方でしょうか? 偶然にも、夏休みに入る前(7月頃)中国出身の友人と靖国神社について話したことがありました。もちろんその方もあなたと同じことを言っていました。「罪を犯したのに、なぜ神社に祭られているんだ」と。罪を犯した事実は「敗戦国」として、どんなに不満な方法であっても、裁かれたのです。一度裁かれた人は、釈放されます。罪を一度裁かれたので、彼らがもう一度裁かれなくてはならない理由が、無いのです。
そして、神道によって神社にお祭りされているので、神道ではない人たちに理解されないこともあるでしょう、ともその人に話しました。しかしその人は「日本にある宗教は中国から入ってきたんだ」と譲りません。…確かにその可能性はあります。中国で言う「皇帝」と日本で言う「天皇」という言葉が似ていると思えます。しかし、皇帝はまったく別の人に変わってしまう可能性があるのに、天皇には、それが無いのです。また、中国に作られた神社が壊されてしまったことで、日本と中国の宗教観が違っていることがはっきりしているかと思います。神社は、祟りを恐れて造る施設なので、壊したり移転したりということは、ほとんどありえないはずですから。と、いう理由で、「靖国神社」の話題に関してはどちらかといえば「傷への補償の必要性」よりも「宗教観の差と怨みの感情の温度差」の問題だと考えます。
>人間じゃないことをやった人に対して、日本人はどういう風に認識すべきか?罪人か?Heroか?
いまだに善し悪しの一方に定義されていない人が記録の中にいることを考えると(例:ワカタケル大王)、どちらにもなりえると予想します。なぜなら、傍から見て狂ってたと思える東条氏らは、その当時には「国のため」と思っていたわけです。ここは、被害者としては理解できないことと思います。そして、彼らが原因で相当の被害があったと考える人は、彼らを悪者として見ることができます。
長くなりましたが、私が主張したいのは次のことです。
ぜひお墓の中まで追いかけず、現在と未来のことを考えてください。
そして、恐ろしいことですが、それぞれに知らないことやわからないことがあり、それは当然なのです。残酷なことをしたのは、両方です。原因は、戦争です。守りきれなければ、どうしようもないことがあります。だから、あの戦争の後、できるだけ戦争を回避する動きがあるのです。911以後、状況は少しずつ変わりつつありますが。
これは メッセージ 6692 (liuyinghuanchn さん)への返信です.