サッカー・アジアカップの反日問題

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これも依代と言えなくも無いか

投稿者: juanes444 投稿日時: 2008/02/12 05:23 投稿番号: [21748 / 21882]
先日とある神社に行った

井伊谷宮というところ

そちらの祭神は「宗良親王」である

名前ぐらいは知っていたが、その足跡までは知らなかった

むねなが親王は後醍醐天皇の皇子、有名な護良親王の兄弟である

後醍醐帝の意を受け建武の新政を破壊した足利尊氏の勢力と闘う為に帝の名代としてその地に下向した

東海を拠点に北朝を僭称する尊氏の傀儡政権と激闘を繰り広げたらしい

逆賊はあくまで多勢、武士の大部分がその北賊に加勢をし強大な軍事力を行使したという

それを迎え撃つ正統たる官軍は常に劣勢であったという


でも「むねなが親王」はひとりぼっちじゃなかった


尊い貴種ではあるが未だ非力な皇子を守護し援けたのは在地の土豪であった


「井伊の一族」


この一族が与力しその本拠に親王を迎え入れた事によって、大勢力の武士がこぞって参集した賊軍と互角に渡り合えたという

その地を拠点に東海一円を縦横に闘い続け賊軍の跋扈を許さなかったという


井伊の谷に近い三獄城に籠り平野を埋める賊軍の襲来に存分に逆撃を与えたという

文字通り死闘を繰り広げたという

それを可能にせしめたのが「伊井の一族」であり、親王本人の気迫であった


逆賊の勝利を許さぬという正統たる者の使命である



なにやら「闘うことの意味」を教えられた様な気がした


井伊谷宮の裏手に親王の「御陵」がある、本物だ

そこには「宮内庁」の文字が大書きされた木板が建てられていた


数百年の時を超え、親王とその一党が正統であったという証しである

その行いが正しかったという証しである
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