Re: 違いとか:乱射線
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2006/10/12 11:27 投稿番号: [20939 / 21882]
笑・・・
>気がつかないうちに前提にしちゃってることってあるのかも。<
まあね、言うことは分かったような気がしますけど。
【・・・前提にしちゃってることってあるのかも】というよりは確実にあると思いますよ。
なぜそこまで言い切ったのかといえば、遠い遠い昔昔から細い細い線が今日の我々と結びついているのですよ。
日々実感できるもの、我々の呼吸と生命がそうじゃないの?
物理的に我々の呼吸は我々自身の肉体によってのみできるもののように見えるが、もし我々のご先祖さんがいなければ、我々の呼吸は言うまでもなく、我々の肉体、生命自体が存在の根拠を失うのですね。
呼吸の病気、喘息は外因の誘発もあるけど、多くの場合遺伝から受けついたものです。へ〜そんなあ!!!といわないでよ。
NDA判定で、我々のご先祖さまの実像や輪郭まである程度、描き出されてしまうわけですからね。それも何万年前のご先祖さんだこと。またそれがどこまでも物理的な判定ですからね。だからこそ遠い遠い昔昔から細い細いNDAの線が我々と結びついているといえるのではないか。
いかにも現代的技術の最先端を集約した宇宙飛行の類は、考えてみればなんて【アポロ】とか、【長蛾】とかの昔昔の神話的人物の名前を、それに付けたがるのだろうか?
もう一つ、秋はそんなにさびしいか。西洋人やアフリカの人々に聞いてみな。必然的にさびしい感覚にはならないとのお答えが帰ってくるかもしれない。だがだが我々所謂東洋人、秋ともなればさびしい、とにかくさびしい。
理由は?といえば、理由なくさびしいがるのです。
松尾芭蕉の門人(風国でしたっけ?)の一人が、
「俺え、秋の夕暮れなんつのはさびしくないよ」つったら、
高弟のもう一人去来がすかさず
「おめ〜エ、なんも分かっちゃいなねえなあ。殺風景やで!秋つのはオマエの実感と関係なしにさびしいの!」
今日の我々、俳句を作らない人間だって秋ともなればさびしい感じがするのは、意外とこの何の根拠も理由もない昔からの類型感覚に由来しているかも。
偶然とも思えないさような類型思考、類型感覚は、やはり我々が気付かないうちにある前提になっているのだろうね。その前提はもしかして昔、大昔から我々の行動を規定しているかもしれない。
ユングなどの研究はそれを思考の原型と命名していますが。
君のお話とかみ合っているかどうか?自信ないな。
これは メッセージ 20938 (relrelhash さん)への返信です.
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