ユーカリ様
投稿者: yaoyorozu666 投稿日時: 2005/07/06 20:46 投稿番号: [18279 / 21882]
畏れを抱くのは、重要な事ですわね。
ただ、キリスト教国と一括りに言うのはどうなのでしょうかしら?
ヨーロッパやアメリカのような国から、アフリカ諸国までありますわよ。
その国の文化・文明度を切り離して考える事はできませんわ。
もし、ヨーロッパを念頭に置いていらっしゃるのであれば、自然との付き合い方は日本と大きく違うようですから・・・。
中国・韓国にしても、そうではないかしら?
「科学が発達すればする程、宗教が重要な意味を持つ」
これは、ひっくり返せば、科学が発達する以前は、宗教が自然と息づいていたということでしょうか?
宗教と言いましても多々ありますから、一概に言えないと私は思いますわ。
畏れそのものは、宗教の影響もあると思いますが、それよりも尚深い、根源に近い所(民族や風土など)からの感情を内包しているように感じますの。
ところで、以前、何かで聞いたのですけれども、「成熟度の高い文化では、宗教は縮小・消滅傾向にある」とのことでした。
キリスト教を例にしますと、欧州では宗教離れが以前より指摘されていますが、米国では未だに日曜学校等が健在ですわね。
そして、日本では、文化的成熟度の高さ、島国であることに由来する比較的安定な社会の連続、神道・仏教という多神教の普及等々の理由から、宗教に関しては、寛容な、そして希薄な状況が生じていると思いますの。
畏れの意識が希薄になってきているとは言いましても、日本は自然災害の多い国ですから、当分の間は自然の脅威に対する畏怖の念は健在だと思いますわよ。
災害ほどの大きな脅威ではなく、身近な物(真っ暗闇など)に対する畏れは急速に消失しつつありますわね。
拙い文章で、支離滅裂になってしまいましたけれども、伝わりますでしょうかしら(T▽T)
これは メッセージ 18266 (eucalyptus_twig さん)への返信です.
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