しな
投稿者: dream_dianthus 投稿日時: 2005/02/02 15:14 投稿番号: [15956 / 21882]
あちらにカキコすると怖いので、小心な夢乃はこちらにします。
だーれも読まないかもしれないけど
いぢめられるたくないもん。
言葉や文字はそれを知らない人間にとっては中性的なものだ
と思います。
「ゴキ○リ」が何を指し示す言葉なのかを知らない人間にとっては
単なる記号に過ぎません。
言葉を使用する人間とそれを受け取る人間によっても言葉は
違ってきます。
「馬鹿」は馬と鹿です。
それが何か?
恋人同士の間で「馬鹿」と言えば、どちらも怒ったりはしません。
(ヤバめな状況では違いますけれど)
知らない人間に「馬鹿」と言われると、かなりムッとします。
「支那」の語源はCinaだそうです。
古代インド、ペルシア、古代ギリシアの人々もCinaと。
呼称していたようです。
もし、江戸時代でしたら「支那」は使う側も受け取る側も問題ない
言葉だったでしょう。
ところが日清戦争以降、日本人は「支那」という言葉に
軽蔑の意味を込めて使い始めたようです。
いえ、「支那」と言う言葉はもともと存在していた言葉ですから
戦争に負けた弱く愚かな国という概念=「支那」
になってしまったのだと思います。
日清戦争当事に、日本人が「中国」とか「中華」という呼称を
使っていたら、
「中国」(「中華」)=戦争に負けた愚かな国
となっていたでしょう。
肝心なことはある言葉の本来の意味や語源ではなく、
その言葉を使う側と受け取る側がどのような使い、
どのように受け止めるかではないでしょうか?
私は「支那」にも「シナ」にも侮蔑的な意味を感じません。
なんとなくロマンティックな響きさえ感じます。
しかし、私がそうであっても言葉を受け取る多くの人たちが
侮蔑と感じるならば使用すべきではないでしょう。
言葉はコミュニケーションの手段なのですから。
(もし、私がフランス人でしたら話は違うかもしれません。
フランス人である私は「支那」という言葉に侮蔑的な意味を
持たせていないという暗黙の了解があるからです。)
逆に、受け取る側が勝手にその言葉は不快だと主張するのも
問題があります。
言葉は個人のものではなく、社会性を持っていますから
広く一般に承認された感覚でなければいけません。
「支那」という言葉は、
「大日本帝国」という言葉と共通性があるかもしれませんね。
参考にしたWebサイト
http://kyoto.cool.ne.jp/jiangbo/china/edu/edu004.htmhttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/cina3.html他
これは メッセージ 1 (messages_admin さん)への返信です.
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