日露戦争
投稿者: tokumori_ciel 投稿日時: 2004/11/12 23:45 投稿番号: [14642 / 21882]
ロシアの南下政策は日本の脅威でした
日露戦争最大要因は何と言っても日清戦争の講和条約の遼東半島割譲に対するロシア、フランス、ドイツによる三国干渉でしょう
日本はこの三国を相手に戦争する力はなく泣く泣く受けいれた
ロシアは満州にシベリア鉄道を延長して清国内に東清鉄道を敷設、沿線の鉱山、森林資源開発や路線の町を自国領土化、その警備に軍隊を進出させました
冬でも凍らない港を持つことはロシアの悲願であり遼東半島の旅順港や大連を25年租借、ウラジオストックにあった太平洋艦隊の大部分を移しついに念願の不凍港を手に入れ東清鉄道と旅順港をつなぎ数々の軍事施設を建設し要塞化しました三国干渉から返還後わずか三年足らずです。
ロシアの満州でのねらい、そして朝鮮半島への野望、日本に対する軍事的威嚇は誰の目にも明らかです
1900年に各種民間団体の武装集団が西洋勢力の排除を標榜しキリスト教会や宣教師を襲撃、義和団事件が山東省で起こりやがて北京にも拡大、各国公使館を包囲、孤立化しました
米、英、日、仏、露、独、伊、オーストリア8カ国は自国民、公使館員保護のため北京に出兵
清国は8カ国に宣戦布告(何と無謀な・・・)
ロシアは満州の建設中の鉄道及び権益保護のため義和団鎮圧を名目に満州に5〜10万の兵を出兵し占領したのです
義和団事件が落ち着いてもそのままロシアは10万〜17万の兵を居座ったままでした
これに危機感を感じたのが日本です
このまま満州にロシアの強大な軍事勢力が存在することを恐れ、その勢力が鴨緑江を越え朝鮮半島にまで及ぶ事をもっとも懸念したのです
日本は各国列強に働きかけ特に日英同盟を結び、ロシア軍撤兵の協定を結ばせましたが一部の兵のみの撤兵しか行われませんでした
それどころかロシア宮廷内の権力闘争で「満州からは撤兵せず、堂々と朝鮮半島に出兵するべきという」強健派が力を握りました
実際に鴨緑江を越え河口に兵舎を設営、森林伐採事業を行い韓国からの租借しニコライ港としました
日本はロシアと何度か交渉しましたがロシアは当時、新興勢力とはいえ、まだ小国と思われていた日本に
「ハイそうですかと」
聞く耳を持つはずもなく、またロシア軍満州撤兵期限の1903年10月を過ぎると日本国内では
「ロシア討つべし」との開戦気運が高まりました
1904/2/6、ロシアと国交断絶
国交断絶とほぼ同時に日本軍は行動開始
旅順港へと日本軍連合艦隊が佐世保から出撃開戦
1904/02/10
対ロシア宣戦布告
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