ラーメンについての受け売り
投稿者: nk381214 投稿日時: 2004/10/28 21:44 投稿番号: [14145 / 21882]
ラーメンと餃子、母国よりも日本で進化した理由
中国がルーツの食べ物で日本人がまず思い浮かべるのはラーメンと餃子ではなかろうか。ところが中国に来る日本人が例外なく失望するのは、この両者とも味が芳しくないことである。それはなぜかといえば、餃子もラーメンも中国人の感覚では同じく小麦粉で作った粗末な食べ物で、あえて研究しようなどと誰も思わないからだ。最近では日本のラーメンが中国に逆上陸し、市民の支持を集めている。海外のものを取り入れて改良し、改めて輸出するという日本人得意のパターンがここでも発揮されている。
日本では餃子とはそれで1つの料理であって、ご飯のおかず、もしくはビールのつまみといった位置づけになる。ラーメンもそれ自体が独立した食べ物であって、1回の食事がラーメンだけでも別に何とも思わない。そして餃子とラーメンは同じく中華料理屋にあるメニューではあるが、同じ素材の食べ物だという感覚はない。ところが中国人の認識は違う。両者はともに「小麦の食べ物」という同じ括りの中にある。このあたりの感覚は日本人にはちょっと分かりにくい。
中国のレストランに行くと、食事の最後に主食を注文するのが普通だが、その場合に服務員から「小麦を食べる? それとも米?」と聞かれることがよくある。そこで小麦を選択すると、次に小麦の食べ方を聞かれる。小麦を細く伸ばして茹でたものが麺である。小麦を薄く伸ばし、味つけのために具を包めば餃子になる。小麦を練ってイースト菌を入れて膨らませたものがマントウ(饅頭)であり、餃子よりも小麦が薄く、より具を重視したものが焼売であって、小麦粉を長く伸ばして油で揚げれば油条(ヨウテャオ)という揚げパンみたいなものになる。
要はすべて小麦という穀物を食べるための方法論であって、基本的には同じものだと中国人の頭の中では分類されている。整理の法則さえのみ込めれば極めて論理的で分かりやすい。
ラーメンが主食であるのは中国も日本も同じだが、餃子の場合、中国では主食だが日本ではおかずである。
中国では餃子の皮に主眼があって、皮を食べるために中身の具が存在している。ところが日本では米が主食の座をがっちりと握っていて、主食としての餃子が入り込む余地がなかった。そのため日本の餃子は次第に皮が薄くなり、具を食べることに主眼が移って居場所を見つけたのである。余談だが、中国では餃子といえば水餃子を指すのが普通(焼き餃子は「鍋貼=グオティエ」という)なのに、日本では焼き餃子が普及した。それは主食として皮を大量に食べるにはさっぱりしている必要があるが、おかずやビールのつまみにするには油を加えてこってり感を出さないと物足りなかったからである。
日本は米が豊富に取れたからか、国が貧しかったからなのか、よく分からないが、とにかく主食をよく食べる。米の飯さえあれば、あとは何もいらないという人が今でも結構いる。ところが中国では食事とは基本的に肉やら野菜やらの料理でお腹をいっぱいにするものであって、主食は最後のダメ押し程度の意味しかない。主食でお腹をいっぱいにしなければならない食事は悲惨なものという感覚が普通だ。
外来品を改良して輸出するのは日本人の得意技
というようなわけで日本で非常に愛され、国民食となったラーメンと餃子だが、中国では今でも小麦粉のバリエーションの地位を出ていない。だから、その改良に血道を上げるという感覚はない。それが今に至るも中国でおいしいラーメンや餃子が食べられない根本的な理由である。最近上海では日本のラーメンがブームだ。先日、上海人の知人が中学生の息子を連れて九州ラーメンのチェーンに食事に行った。息子は「こんなにおいしいものは食べたことがない」と大騒ぎで、また連れていけと休日ごとに親父にせがんでいるという。
もともと海外がルーツのものを工夫し、改良して再輸出する。これはまさに日本人の得意技であって、ラーメンも例外ではないらしい。上海で見ていると日本の商品やサービスは本当に強力で、この基本を忘れずに世界の人々に喜んでもらえる商品を生み出し続けていれば、日本人は食いっぱぐれることはないような気がする。
中国がルーツの食べ物で日本人がまず思い浮かべるのはラーメンと餃子ではなかろうか。ところが中国に来る日本人が例外なく失望するのは、この両者とも味が芳しくないことである。それはなぜかといえば、餃子もラーメンも中国人の感覚では同じく小麦粉で作った粗末な食べ物で、あえて研究しようなどと誰も思わないからだ。最近では日本のラーメンが中国に逆上陸し、市民の支持を集めている。海外のものを取り入れて改良し、改めて輸出するという日本人得意のパターンがここでも発揮されている。
日本では餃子とはそれで1つの料理であって、ご飯のおかず、もしくはビールのつまみといった位置づけになる。ラーメンもそれ自体が独立した食べ物であって、1回の食事がラーメンだけでも別に何とも思わない。そして餃子とラーメンは同じく中華料理屋にあるメニューではあるが、同じ素材の食べ物だという感覚はない。ところが中国人の認識は違う。両者はともに「小麦の食べ物」という同じ括りの中にある。このあたりの感覚は日本人にはちょっと分かりにくい。
中国のレストランに行くと、食事の最後に主食を注文するのが普通だが、その場合に服務員から「小麦を食べる? それとも米?」と聞かれることがよくある。そこで小麦を選択すると、次に小麦の食べ方を聞かれる。小麦を細く伸ばして茹でたものが麺である。小麦を薄く伸ばし、味つけのために具を包めば餃子になる。小麦を練ってイースト菌を入れて膨らませたものがマントウ(饅頭)であり、餃子よりも小麦が薄く、より具を重視したものが焼売であって、小麦粉を長く伸ばして油で揚げれば油条(ヨウテャオ)という揚げパンみたいなものになる。
要はすべて小麦という穀物を食べるための方法論であって、基本的には同じものだと中国人の頭の中では分類されている。整理の法則さえのみ込めれば極めて論理的で分かりやすい。
ラーメンが主食であるのは中国も日本も同じだが、餃子の場合、中国では主食だが日本ではおかずである。
中国では餃子の皮に主眼があって、皮を食べるために中身の具が存在している。ところが日本では米が主食の座をがっちりと握っていて、主食としての餃子が入り込む余地がなかった。そのため日本の餃子は次第に皮が薄くなり、具を食べることに主眼が移って居場所を見つけたのである。余談だが、中国では餃子といえば水餃子を指すのが普通(焼き餃子は「鍋貼=グオティエ」という)なのに、日本では焼き餃子が普及した。それは主食として皮を大量に食べるにはさっぱりしている必要があるが、おかずやビールのつまみにするには油を加えてこってり感を出さないと物足りなかったからである。
日本は米が豊富に取れたからか、国が貧しかったからなのか、よく分からないが、とにかく主食をよく食べる。米の飯さえあれば、あとは何もいらないという人が今でも結構いる。ところが中国では食事とは基本的に肉やら野菜やらの料理でお腹をいっぱいにするものであって、主食は最後のダメ押し程度の意味しかない。主食でお腹をいっぱいにしなければならない食事は悲惨なものという感覚が普通だ。
外来品を改良して輸出するのは日本人の得意技
というようなわけで日本で非常に愛され、国民食となったラーメンと餃子だが、中国では今でも小麦粉のバリエーションの地位を出ていない。だから、その改良に血道を上げるという感覚はない。それが今に至るも中国でおいしいラーメンや餃子が食べられない根本的な理由である。最近上海では日本のラーメンがブームだ。先日、上海人の知人が中学生の息子を連れて九州ラーメンのチェーンに食事に行った。息子は「こんなにおいしいものは食べたことがない」と大騒ぎで、また連れていけと休日ごとに親父にせがんでいるという。
もともと海外がルーツのものを工夫し、改良して再輸出する。これはまさに日本人の得意技であって、ラーメンも例外ではないらしい。上海で見ていると日本の商品やサービスは本当に強力で、この基本を忘れずに世界の人々に喜んでもらえる商品を生み出し続けていれば、日本人は食いっぱぐれることはないような気がする。
これは メッセージ 14140 (kon_do_i さん)への返信です.