意図と前提
投稿者: sakurasola 投稿日時: 2004/08/13 22:57 投稿番号: [10553 / 21882]
あなたが初めてのお返事を書いてくださいました。ありがとうございます。
「前提からデータを使う」
この掲示板を見ていると、「中国の人たちの情報を正確とみなす人」と、「それを否定する人」に分かれています。また、それ以外の人もいると思います。
さて、なぜ未だに「南京大虐殺があったか無かったか」が話題に上がるのでしょう…この原因はおそらく、戸籍や住民登録がしっかりできていなかった可能性と、人数があまりにも多いので不自然に感じる人がいるからでしょう。
「あったか無かったか」という話題は、はっきりと「無い」と否定するよりは「あった可能性もある」と部分肯定した方が可能性は高くなります。私は女性ですし日本で生まれ育ったので、軍隊経験がありませんが、留学生の方に尋ねると、軍隊とは随分ストレスのたまる職場のようです。緊張が重なり不満が募ったことで、意味の無い暴力事件が起こった…かもしれません。
私の意見を読む前に、ここで考えてみてください。「あった」「無かった」と発言する時に、「好き・嫌い」などの感情が先走っていませんか? 多くの人が学んだ教科書や毎日目にするメディアの後ろには国家や支援団体、または政治家がいるのです。
私は自然と、こう考えます。「さて、軍隊という言葉を聞いて厳しさを連想するのに、敵の国の住民だからといって勝手にそんなに殺せたのだろうか…」数に関しては疑いがあります。留学生たちから聞かされた、「日本人の軍人は、とても厳格で理性的だった」、というあの厳格さと理性は、一体どこへ? ただし、「南京『大?』虐殺がまったく無かった」、などという全否定はしません。可能性が多少なりとも残るからです。
私が気になるのは、TVなどで触れる中国の人たちの「日本が嫌い」という気持ちが、色々な発言・行動のすべての前提となっていることです。「嫌い」を植えつけることは、意外と簡単です。もっと小規模な例を挙げましょう。子供たちの「いじめ」が、長い間続いていると、「あの子は汚い」という植え付けができてしまい、途中で引っ越してきた人もそれに従うことが多いのです。多数に従うことも、よくあることです。
ある国を嫌いだと思うようになったきっかけとなったものは、本当のことなのでしょうか。私は「両方において、検証が足りない」と考えます。戦争が終わって40年近く過ぎてから生まれた私には実感できるはずもないのですから、慎重でいたいと思います。
しかし、「あった」「無かった」のどちらにしても、やはりそれは戦時のことで、平時のことではないのです。怨む気持ちというのは強いので、おそらく消えないでしょう。怨まれることに対応するよりも、現実世界の中国がもっといい状況になることを手助けするのが重要では、と考えます。
「前提からデータを使う」
この掲示板を見ていると、「中国の人たちの情報を正確とみなす人」と、「それを否定する人」に分かれています。また、それ以外の人もいると思います。
さて、なぜ未だに「南京大虐殺があったか無かったか」が話題に上がるのでしょう…この原因はおそらく、戸籍や住民登録がしっかりできていなかった可能性と、人数があまりにも多いので不自然に感じる人がいるからでしょう。
「あったか無かったか」という話題は、はっきりと「無い」と否定するよりは「あった可能性もある」と部分肯定した方が可能性は高くなります。私は女性ですし日本で生まれ育ったので、軍隊経験がありませんが、留学生の方に尋ねると、軍隊とは随分ストレスのたまる職場のようです。緊張が重なり不満が募ったことで、意味の無い暴力事件が起こった…かもしれません。
私の意見を読む前に、ここで考えてみてください。「あった」「無かった」と発言する時に、「好き・嫌い」などの感情が先走っていませんか? 多くの人が学んだ教科書や毎日目にするメディアの後ろには国家や支援団体、または政治家がいるのです。
私は自然と、こう考えます。「さて、軍隊という言葉を聞いて厳しさを連想するのに、敵の国の住民だからといって勝手にそんなに殺せたのだろうか…」数に関しては疑いがあります。留学生たちから聞かされた、「日本人の軍人は、とても厳格で理性的だった」、というあの厳格さと理性は、一体どこへ? ただし、「南京『大?』虐殺がまったく無かった」、などという全否定はしません。可能性が多少なりとも残るからです。
私が気になるのは、TVなどで触れる中国の人たちの「日本が嫌い」という気持ちが、色々な発言・行動のすべての前提となっていることです。「嫌い」を植えつけることは、意外と簡単です。もっと小規模な例を挙げましょう。子供たちの「いじめ」が、長い間続いていると、「あの子は汚い」という植え付けができてしまい、途中で引っ越してきた人もそれに従うことが多いのです。多数に従うことも、よくあることです。
ある国を嫌いだと思うようになったきっかけとなったものは、本当のことなのでしょうか。私は「両方において、検証が足りない」と考えます。戦争が終わって40年近く過ぎてから生まれた私には実感できるはずもないのですから、慎重でいたいと思います。
しかし、「あった」「無かった」のどちらにしても、やはりそれは戦時のことで、平時のことではないのです。怨む気持ちというのは強いので、おそらく消えないでしょう。怨まれることに対応するよりも、現実世界の中国がもっといい状況になることを手助けするのが重要では、と考えます。
これは メッセージ 9642 (tyoukoukou さん)への返信です.