サムスン、南朝鮮の貧民窟を知ってるか?
投稿者: hiruinakiteinoukunhe 投稿日時: 2003/11/16 15:04 投稿番号: [8672 / 44985]
【ルポ】ソウル最後の貧民街「ノウォン村」
ソウル・ノウォン区・上溪(サンゲ)洞の「ノウォン村」は「ナンゴク村(冠岳(クァナク)区・新林(シンリム)洞)」が撤去されたことにより、ソウルで唯一の大規模な貧民街となった。
4〜6坪の無許可住宅が建ち並び、家と家の間の道は70センチと、大人1人がやっと通れる程狭い。積み重ねられた練炭と屋根に乗せられている練炭ガスの排気口が70年代のソウルの裏通りを思い出させる。
ここには約900世帯、2000人が暮らしている。1965年以降、ソウル・永登浦(ヨンドンポ)、佛光(プルグァン)洞、清渓(チョンゲ)川、三仙(サムソン)橋一帯が再開発されたことから、それらの地域から追い出された人々によって形成された。現在、ノウォン村第1世代にあたる60〜70代の高齢者が住民の70%以上を占めており、残りはその子供たちだ。
33年間、この村で暮らしているアン・キョンジャ(71)さんとミン・ヨンワン(73)さん夫婦は「ここで静かに死ぬのが願い」と話す。子供たちが幼かったごろは4坪一間で10人が一緒に寝て、部屋の戸が壊れたこともあったという。
この老夫婦は昨年、国民基礎生活保障需給者(生活保護対象者)から脱落した。88年に85万ウォンで購入した無許可住宅ではあるものの、家があり、扶養責任のある子供がいるというのがその理由だった。
需給者から脱落して以降、収入が全くない老夫婦に、2カ月前から固定収入6万5000ウォンが支給されることになった。韓国戦争に参戦した夫のミン・ヨンワンさんに国家が毎月6万5000ウォンを支給することにしたからだ。
1951年、金日成(キム・イルソン)高地戦闘の時、右足に破片が刺さったミンさんは、その後遺症と骨粗鬆症によって、現在ほとんど身動きを取れない状態だ。唯一の外出は自宅から100メートルほど離れた共同トイレに妻のアンさんに支えられて行くことだけ。
食事は1日2食。朝は作って食べ、夜は福祉館から配達される弁当を食べている。この2人をよく知っている北部社会福祉館の金ヘヨン福祉士は「基礎生活保障法が施行されてから、アンさん夫婦のような方は生活が更に苦しくなった」と話す。
この村の住民のほとんどは独居老人で、若者達は日雇い労働者、露天商などで生計を立てているか、この村を離れて行った。子供がほとんどいないのも特徴の一つだ。便宜施設は小さなスーパーマーケットが5カ所、クリーニング屋1カ所、洋服のリフォーム店2カ所程度しかない。
地下鉄7号線の水落山(スラクサン)駅まで歩いて20分。中浪(チュンラン)川のすぐ近くにあるため、98年、99年、2001年には大きな水害を被った。
30年間ここで暮らしている金某(70)さんは、内縁の妻として生涯冷たい扱いばかりを受けてきたが、夫が死亡すると、本妻の病気になった息子(30)まで責任を持たされることになった。現在2人で一緒に暮らしているが、需給者支援金の20万ウォンが生活費のすべてだ。一人暮らしをしているユン某(74)さんも1日2食で延命しながら暗い4坪の部屋で何とか生活している。
韓国都市研究所の李ホ研究員は「ここの住民は再開発によってマンションに入居する権利が与えられたにもかかわらず、追加の費用を支払うことができず、都心の地下室や、ソウル周辺に追いやられ、生活環境が更に悪化している」と話した。
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/12/02/20021202000034.html
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「子供たちが幼かったごろは4坪一間で10人が一緒に寝て、部屋の戸が壊れたこともあった」
在日朝鮮・韓国人でこんな悲惨な暮らしをしている奴はいないぞw
何とかしてやれよ、南朝鮮人のエリートクンよ(笑)。
ソウル・ノウォン区・上溪(サンゲ)洞の「ノウォン村」は「ナンゴク村(冠岳(クァナク)区・新林(シンリム)洞)」が撤去されたことにより、ソウルで唯一の大規模な貧民街となった。
4〜6坪の無許可住宅が建ち並び、家と家の間の道は70センチと、大人1人がやっと通れる程狭い。積み重ねられた練炭と屋根に乗せられている練炭ガスの排気口が70年代のソウルの裏通りを思い出させる。
ここには約900世帯、2000人が暮らしている。1965年以降、ソウル・永登浦(ヨンドンポ)、佛光(プルグァン)洞、清渓(チョンゲ)川、三仙(サムソン)橋一帯が再開発されたことから、それらの地域から追い出された人々によって形成された。現在、ノウォン村第1世代にあたる60〜70代の高齢者が住民の70%以上を占めており、残りはその子供たちだ。
33年間、この村で暮らしているアン・キョンジャ(71)さんとミン・ヨンワン(73)さん夫婦は「ここで静かに死ぬのが願い」と話す。子供たちが幼かったごろは4坪一間で10人が一緒に寝て、部屋の戸が壊れたこともあったという。
この老夫婦は昨年、国民基礎生活保障需給者(生活保護対象者)から脱落した。88年に85万ウォンで購入した無許可住宅ではあるものの、家があり、扶養責任のある子供がいるというのがその理由だった。
需給者から脱落して以降、収入が全くない老夫婦に、2カ月前から固定収入6万5000ウォンが支給されることになった。韓国戦争に参戦した夫のミン・ヨンワンさんに国家が毎月6万5000ウォンを支給することにしたからだ。
1951年、金日成(キム・イルソン)高地戦闘の時、右足に破片が刺さったミンさんは、その後遺症と骨粗鬆症によって、現在ほとんど身動きを取れない状態だ。唯一の外出は自宅から100メートルほど離れた共同トイレに妻のアンさんに支えられて行くことだけ。
食事は1日2食。朝は作って食べ、夜は福祉館から配達される弁当を食べている。この2人をよく知っている北部社会福祉館の金ヘヨン福祉士は「基礎生活保障法が施行されてから、アンさん夫婦のような方は生活が更に苦しくなった」と話す。
この村の住民のほとんどは独居老人で、若者達は日雇い労働者、露天商などで生計を立てているか、この村を離れて行った。子供がほとんどいないのも特徴の一つだ。便宜施設は小さなスーパーマーケットが5カ所、クリーニング屋1カ所、洋服のリフォーム店2カ所程度しかない。
地下鉄7号線の水落山(スラクサン)駅まで歩いて20分。中浪(チュンラン)川のすぐ近くにあるため、98年、99年、2001年には大きな水害を被った。
30年間ここで暮らしている金某(70)さんは、内縁の妻として生涯冷たい扱いばかりを受けてきたが、夫が死亡すると、本妻の病気になった息子(30)まで責任を持たされることになった。現在2人で一緒に暮らしているが、需給者支援金の20万ウォンが生活費のすべてだ。一人暮らしをしているユン某(74)さんも1日2食で延命しながら暗い4坪の部屋で何とか生活している。
韓国都市研究所の李ホ研究員は「ここの住民は再開発によってマンションに入居する権利が与えられたにもかかわらず、追加の費用を支払うことができず、都心の地下室や、ソウル周辺に追いやられ、生活環境が更に悪化している」と話した。
鄭佑相(チョン・ウサン)記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/12/02/20021202000034.html
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「子供たちが幼かったごろは4坪一間で10人が一緒に寝て、部屋の戸が壊れたこともあった」
在日朝鮮・韓国人でこんな悲惨な暮らしをしている奴はいないぞw
何とかしてやれよ、南朝鮮人のエリートクンよ(笑)。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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