Re: チャウシェスクの死刑から既に20年
投稿者: letgonip2009 投稿日時: 2009/12/20 17:40 投稿番号: [42598 / 44985]
確かに。
ルーマニア革命から20周年ですね。
当時の革命評議会元大統領が毎日に;
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混乱の早期収拾を図るため、イリエスク氏や軍高官ら6人が24日夜、国防省にひそかに集まり、チャウシェスク夫妻に対する軍事裁判の開廷を決めた。
同氏は「その瞬間も続いていた市民の犠牲を止めるには、夫妻の処刑しかないと決断した」と緊迫した場面を振り返る。「混乱に乗じてパニックを起こそうとする勢力もいた。
公開裁判が望ましいことは分かっていたが、市民の生命を優先するため、一刻も早い決着が必要だった。
その判断は間違っていない」ときっぱり言い切った。
チャウシェスク夫妻は翌25日、ブカレストから北へ約90キロ離れたテルゴビシテの軍施設で軍事裁判を受け、直後に銃殺された。
処刑の映像は世界中に流れ、独裁者夫妻の死によって、体制転換後の混乱は収束に向かったという。
チャウシェスク元大統領は71年6月に北朝鮮を訪問。同国の統制ぶりをまねたことが、独裁に突き進むきっかけとなった。
当時、元大統領に重用されていたイリエスク氏は、北朝鮮訪問にも同行した。
だが、同氏は、平壌で元大統領夫妻に「こんな社会はダメだ」と直言したという。
その結果、イリエスク氏はチャウシェスク元大統領に疎まれ、帰国後、「インテリはいらない、と地方に飛ばされた」という。
◇ルーマニア革命
89年12月16日、西部ティミショアラでハンガリー人牧師の国外追放処分に市民が怒り、軍と衝突、軍の発砲で犠牲者が出た。
混乱は全土に広がり、チャウシェスク夫妻が処刑された25日までに国内で約2200人が犠牲になった。
武力による流血を伴う体制転換となり「革命」と呼ばれる。
ベルリンの壁崩壊など東欧民主化の波は最後にルーマニアに波及した。
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なぜ「こんな社会は駄目」か判るかな、金よ。
これは メッセージ 42596 (gogai3000 さん)への返信です.
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