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金総書記も以前は純真な少年だった

投稿者: kusotaka 投稿日時: 2007/06/24 15:12 投稿番号: [39069 / 44985]
「金総書記も以前は純真な少年だった」

金日成一家の元家庭教師、金賢植氏が自叙伝を出版

  金正日(キム・ジョンイル)総書記をはじめ、金日成(キム・イルソン)一家の家庭教師としての経験を持つ70代の脱北知識人が、脱北から15年目にして自叙伝を出版し、北朝鮮首脳部を批判した。金賢植(キム・ヒョンシク)前キム・ヒョンジク師範大学教授(75)は22日に出版した自叙伝『わたしは21世紀の遊牧民』で「金正日総書記も以前は頬の赤い純真な少年だった」「今も彼に人の心が残っていることを望む。自分が作り上げた北朝鮮の姿に胸を痛め、大きな決断を下すことを望む」と書き記した。

  米国ワシントンDC近郊の自宅で電話インタビューに応じた金教授は「韓国のマスコミに自分の姿を現さないことだけが、北朝鮮に残っているわたしの家族に対する唯一の配慮だと思い、本名と顔を隠して生きてきた」と語った。

  金教授は脱北直前まで、キム・ヒョンジク師範大学ロシア語科の教授を務めていた。当時は党が与えた功労勲章やメダルを20個以上持つエリート党員だった。故金日成主席の妻の親戚たちの家庭教師をしたこともある。「息子の外国語能力をチェックしろ」との金日成主席の命令で、幼い少年だった金正日総書記と2人でロシア語の文法や会話のテストを行ったこともあるという。

  彼は1991年、国立ロシア師範大学に交換教授として派遣された。金日成主席の「最近、南朝鮮の教授たちがロシアで朝鮮語を教えているが、お前がもっとうまく教えて実力を発揮して来い」との指示によるものだった。しかし、ロシアで彼を待っていたのはまったく違う運命だった。韓国戦争(朝鮮戦争)当時、ロシアから韓国に渡り、その後米国に移民した姉と、北朝鮮当局が知らない間に劇的に再会したのだ。この事実を知った何者かが北朝鮮当局に密告し、「すぐに平壌へ戻れ」との命令が下された。だが、平壌へ戻るのは死を意味する。恐れた彼は「韓国へ向かう船に乗る以外なかった」と述べた。

  金教授は韓国に渡ってから10年間、慶南大学北朝鮮大学院や韓国外国語大学教育大学院などで北朝鮮体制とロシア語を教えた。その10年間は侮蔑に耐える日々だったという。「自分は韓国に来て初めて豊かさと人権、自由とは何かを知った。しかし、自分が必死で北朝鮮の実情を訴えても、韓国人たちは表面ではうなずきながら、裏では“反共講師”とさげすんでいた」

  金教授が自叙伝に書いた北朝鮮の実情は、ジョージ・オーウェルの『1984年』を彷彿とさせる。同僚の教授が党員証を紛失したという理由で直ちに粛清されたり、金正日総書記に従わなかった女優が夫の目の前で銃殺される場面を目撃した彼の弟子の話も含まれている。金教授は「直接体験してきた自分が実情を伝えているのに韓国人は信じない。今も北朝鮮に残る家族のことを考えると、体中が殴られたように痛くなり絶望にさいなまれる」と述べた。

  金教授は結局韓国から去り、その後4年間米国に滞在している。最初の3年はエール大学招聘教授、1年はジョージ・メイスン大学研究教授を務めた。そして9月からはハーバード大学に移る予定だという。彼は15年前にモスクワで長男のために買った電子計算機を今も大切に持っている。自叙伝で彼は「家族の冥福を祈る」と綴った。電話インタビューで彼は「今も生きているなら、すまないとしか言いようがない」と述べ、長い沈黙が続いた。

金秀恵(キム・スヘ)記者、韓国の朝鮮日報
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