鈴木貫太郎の英断は立派だった
投稿者: fumfumfum_fumfumfum 投稿日時: 2007/06/04 19:00 投稿番号: [38959 / 44985]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog101.html
■5.私自身はいかになろうとも■
日本の提案に対して、明確な保証は与えていない連合国の回答
に、大本営は受諾絶対反対を唱えた。鈴木は、再度の御前会議招
集を決定した。「もう二日だけ待ってほしい」との阿南陸相の要
望を、鈴木は毅然として断った。
今日を外したら、ソ連が満洲、朝鮮、樺太ばかりでなく、北
海道にもくるだろう。ドイツ同様に分割される。そうなれば日
本の土台を壊してしまう。相手がアメリカであるうちに始末を
つけねばならんのです。[4,p373]
8月14日午前10時50分、二度目の御前会議が開かれた。各人
の意見陳述の後、天皇が静かに口を開かれた。
国体問題についていろいろ危惧もあるということであるが、
先方の回答文は悪意をもって書かれたものとは思えない。要は、
国民全体の信念と覚悟の問題であると思う。そのまま、受諾し
てよいと考える・・・国民が玉砕して君国に殉ぜんとする心持
ちもよくわかるが、しかし、私自身はいかになろうとも、私は
国民の生命を助けたいと思う・・・[4,p380]
これが最終的な決定となった。二度の御前会議での天皇のご発
言をもとに、終戦の詔勅が作られ、翌8月15日天皇御自身がラジ
オで国民に直接呼びかけるという異例の玉音放送がなされた。強
硬派の多い陸軍も、阿南陸相が「承詔必謹」の大方針を打ち出し、
全軍が静かに矛を納めた。
15日の午後、鈴木は辞表を天皇に差し出した。退出しようと
する鈴木に、天皇は「鈴木」と親しく呼び止められた。「ご苦労
をかけた。本当によくやってくれた」とやさしく言われた。さら
にもう一言、「本当によくやってくれたね」
その夜遅く、鈴木はたか夫人、長男の一らに、その時の様を物
語り、しばし面を伏せてむせび泣いた。就任以来130日間にわ
たる老宰相の苦闘はここに終わった。[4,p390]
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