ヨタローさん【⊃トピ合致/まとめ無】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2006/01/24 21:27 投稿番号: [35148 / 44985]
こんばんは。
>日本の知恵が生み出した「安定感」とでもいうものは、中国には無いように感じます。
いつだったか(忘れたけど)今は亡きナゴヤン禅師が言っておられたではありませんか。
この日本で通用している倫理感・常識・道徳などは長い間かけて日本人が歴史とともに作り上げてきたものであり、それをがらがらと崩す圧力が加われば容易にプールの底は抜けるのだ、と。
中国には中国用の最低限のプールはあるのでしょう。そうでなければ、曲がりなりにも社会が成り立ちませんから。ですが、それが日本とイコールであるはずはありません。中国人が経てきたのは中国人の歴史であり、日本人用の倫理感・常識・道徳が入ったプールではないのですから。
>私はこの大奥の閉鎖空間の一方的思い込みを是としません。
当然です。
視聴者もそれがわかっているからこそ、それに囚われている登場人物たちに同情したり優越感を感じたりして各人物に感情移入していくのですもの。そして、自分が感情移入したキャラクターが最後にはその閉鎖空間を乗り越える精神性を獲得すればカタルシスが生まれるわけです。
とはいえ、ヨタローさんがお好きな『チャングムの誓い』だって大半は閉鎖空間的な李王朝の女官世界の話でしょう? なぜ、チャングム流の閉鎖空間はOKで大奥流の閉鎖空間はダメなんですか? ちょっと好奇心。
>ユリアヌスは以前、学生の頃、辻邦夫の作品を読んだことがありますが、忘却の彼方です。
塩野氏のユリアヌスを読んでいると、一言で言って「彼って可愛い」ですね。
自分が権力者になるなんて夢にも思っていなかった学者肌の青年が思わぬ形で転がり込んできた立場に適応するべく頑張っているうちにとうとう皇帝にまでなってしまう。だったらと意気込んではじめた理想主義的な政策が、生真面目さのためにあちこちで壁にぶつかる……
よく、政治家には高い志と清廉さを求めるとおっしゃるかたがいますが、ユリアヌスの一生を追いかけていても
「政治家が高い志と清廉さを持っていても別段いいことはなーんもないよ」
という気になります。
それにしても後世のキリスト教徒たちからは1時期ネロ以上の暴君と言われていたんですよ。この生真面目な青年が。ホント、キリスト教徒ってイヤァねぇ。
このあたりを辻邦夫氏がどう描いているのか改めて読んでみたくなりました。今度里帰りしたら、父の蔵書からくすねてこよう。
>私は精神というモノに疑いを持っているんです。精神的自由がはたして人を救えるものなのかどうか、疑問です。
私はある部分まではヨタローさんと重なり、ある部分からは大きく反れていきます。
私は、「精神」は人間が内蔵している呪いだと思っているのです。
肉体だけなら不自由を強いられればそれに適応するか適応できずに衰えて滅んでしまっておしまいです。ですが、「精神」が介在するとその中間に「狂気」が入り込みます。
実は、ユリアヌスにしても、ジェンキンス氏と曽我ひとみさんにしても、「精神的自由」が守ったのはこの「狂気」へ転がっていく部分だと思うのです。
人間がなぜ「精神」を持つのか。
それは、社会を作って自らもその一員とならざるを得ないからでしょう。
塩野氏はこうも言っておられました。
「自分に自信をもつ人だけが、他者に対しても公正になれるのである」
私はこれに非常に納得させられました。
ここで言われている自信とは、独り善がりのプライドでもなく、他者の揚げ足を取ったり卑しめたり批判と称して自分を正当化することもなく、現在の自分を肯定できているかどうかだと思うのです。
世の中、ここの部分を履き違えている人が多いではありませんか。他者を批判する能力を持っていると思い込むことが自分を正当化することにそのまま繋がっている人種。隣国でも、この周辺のトピでも多くお見かけする人々ですね。
>私の中国人の友人もキムジョンイルは暴力団の親分だ、中国もイヤイヤつきあってるんだと言っています。
その思いがイヤイヤの付き合いを長々とつづけている当局にむかい、その分日本への安易な政治活動に繋がらなければありがたんですけどね。
まあ、過大な要求をする権利は一介の日本人ごときにはありませんねぇ。
>人の寒暖の感じ方も住む土地によって違う。
油断して薄着してしまったりなさいませんよう。
それでは失礼致します。
>日本の知恵が生み出した「安定感」とでもいうものは、中国には無いように感じます。
いつだったか(忘れたけど)今は亡きナゴヤン禅師が言っておられたではありませんか。
この日本で通用している倫理感・常識・道徳などは長い間かけて日本人が歴史とともに作り上げてきたものであり、それをがらがらと崩す圧力が加われば容易にプールの底は抜けるのだ、と。
中国には中国用の最低限のプールはあるのでしょう。そうでなければ、曲がりなりにも社会が成り立ちませんから。ですが、それが日本とイコールであるはずはありません。中国人が経てきたのは中国人の歴史であり、日本人用の倫理感・常識・道徳が入ったプールではないのですから。
>私はこの大奥の閉鎖空間の一方的思い込みを是としません。
当然です。
視聴者もそれがわかっているからこそ、それに囚われている登場人物たちに同情したり優越感を感じたりして各人物に感情移入していくのですもの。そして、自分が感情移入したキャラクターが最後にはその閉鎖空間を乗り越える精神性を獲得すればカタルシスが生まれるわけです。
とはいえ、ヨタローさんがお好きな『チャングムの誓い』だって大半は閉鎖空間的な李王朝の女官世界の話でしょう? なぜ、チャングム流の閉鎖空間はOKで大奥流の閉鎖空間はダメなんですか? ちょっと好奇心。
>ユリアヌスは以前、学生の頃、辻邦夫の作品を読んだことがありますが、忘却の彼方です。
塩野氏のユリアヌスを読んでいると、一言で言って「彼って可愛い」ですね。
自分が権力者になるなんて夢にも思っていなかった学者肌の青年が思わぬ形で転がり込んできた立場に適応するべく頑張っているうちにとうとう皇帝にまでなってしまう。だったらと意気込んではじめた理想主義的な政策が、生真面目さのためにあちこちで壁にぶつかる……
よく、政治家には高い志と清廉さを求めるとおっしゃるかたがいますが、ユリアヌスの一生を追いかけていても
「政治家が高い志と清廉さを持っていても別段いいことはなーんもないよ」
という気になります。
それにしても後世のキリスト教徒たちからは1時期ネロ以上の暴君と言われていたんですよ。この生真面目な青年が。ホント、キリスト教徒ってイヤァねぇ。
このあたりを辻邦夫氏がどう描いているのか改めて読んでみたくなりました。今度里帰りしたら、父の蔵書からくすねてこよう。
>私は精神というモノに疑いを持っているんです。精神的自由がはたして人を救えるものなのかどうか、疑問です。
私はある部分まではヨタローさんと重なり、ある部分からは大きく反れていきます。
私は、「精神」は人間が内蔵している呪いだと思っているのです。
肉体だけなら不自由を強いられればそれに適応するか適応できずに衰えて滅んでしまっておしまいです。ですが、「精神」が介在するとその中間に「狂気」が入り込みます。
実は、ユリアヌスにしても、ジェンキンス氏と曽我ひとみさんにしても、「精神的自由」が守ったのはこの「狂気」へ転がっていく部分だと思うのです。
人間がなぜ「精神」を持つのか。
それは、社会を作って自らもその一員とならざるを得ないからでしょう。
塩野氏はこうも言っておられました。
「自分に自信をもつ人だけが、他者に対しても公正になれるのである」
私はこれに非常に納得させられました。
ここで言われている自信とは、独り善がりのプライドでもなく、他者の揚げ足を取ったり卑しめたり批判と称して自分を正当化することもなく、現在の自分を肯定できているかどうかだと思うのです。
世の中、ここの部分を履き違えている人が多いではありませんか。他者を批判する能力を持っていると思い込むことが自分を正当化することにそのまま繋がっている人種。隣国でも、この周辺のトピでも多くお見かけする人々ですね。
>私の中国人の友人もキムジョンイルは暴力団の親分だ、中国もイヤイヤつきあってるんだと言っています。
その思いがイヤイヤの付き合いを長々とつづけている当局にむかい、その分日本への安易な政治活動に繋がらなければありがたんですけどね。
まあ、過大な要求をする権利は一介の日本人ごときにはありませんねぇ。
>人の寒暖の感じ方も住む土地によって違う。
油断して薄着してしまったりなさいませんよう。
それでは失礼致します。
これは メッセージ 35137 (yotaro47j さん)への返信です.
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