ヨタローさん【⊃トピ合致/まとめ無】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2006/01/23 14:40 投稿番号: [35129 / 44985]
こんにちは。
>何か大きい肉体的違いがあるように思います。
具体的には? です。
中国大陸出身者の知り合いって実は1人しかいないもんですから。(台湾系の人なら数人いるんですけど)
>どうして大奥が面白いのか?と思って昨日DVDを再度観賞しました。
>ちっとも面白くない。
『チャングムの誓い』をあれほど楽しんでおられたヨタローさんが『大奥』を面白くないとおっしゃるのが不思議です。どこに違いがあるのだろうと、私的に多いに興味を惹かれます。
私自身は春日の局がヒロインだった第2作の方がより好きなのですが、菅野美穂(天障院篤姫)と安達裕美(和宮)がヒロインだった第1作のほうがヨタローさんにはお好みかもしれませんね。
>「自由」という肉体的言葉も肉体的に不自由であるように感じます。ひょっとして「自由」とは精神的な「言葉」なのでしょうか?
実は、私もまさにそのことを最近考えていたのですよ。
1つは例のジェンキンス氏の『告白』です。氏と曽我ひとみさんは、2人のお嬢さんたちに
「私たちが暮らしているこの国は本当の世界とはかけ離れている。ここは普通の世界などではないのだ」
とおっしゃっていたそうです。でも、お嬢さんたちは信じようとなさらなかったとか。
「彼女たちは北朝鮮という世界しか知らなかったのだから」
と、その章を結んでおられますね。
一方で、例の塩野七生氏の『ローマ人の物語』14巻(いよいよ残りあと1巻になりました)で目下背教者ユリアヌスの部分を読んでいるのですが、彼の少年時代はなかなか悲惨です。
6歳で新皇帝に即位したばかりの従兄に父親を殺され、兄と2人幽閉同然の生活となります。そして、12,3歳でさらに僻地に追いやられるのですが、まだ僻地に送り出されるまえに彼はたまたまギリシア古典の世界を教え込んでくれる家庭教師に恵まれるわけです。それを心身に吸い込む形で、その後ユリアヌスは公の場に登場させられるまでを過ごすのですよ。
塩野氏は、それがユリアヌスの精神状態を救ったと指摘しておられますね。
「すべての面で苛酷な現実の中でも精神のバランスを失わないで生きていくのは、苛酷な現実とは離れた自分一人の世界をつくり出せるかどうかにかかっている。ユリアヌスが救われたのは、マルドニウス(リラ註:家庭教師)の手引きで入った、昔のギリシアの哲学と文学の世界に遊ぶことができたからであった」
ユリアヌスにしろ、ジェンキンス氏と曽我ひとみさんにしろ、結局
>精神的な
>「自由」
を持っておられたからこそ苛酷な現実を飛び越えることがお出来になったのではないでしょうか? そうすると、肉体的に他者からの強制的な圧力がないかどうかということは「自由」とは直接結びつかないということになるのでは?
いささか買いかぶれば、『大奥』のヒロインたちは皆いかにして「大奥」という物理的閉鎖空間から「精神的自由」を得ていくか、を描くべきだという気がします。そして、それが出来ない他の脇役たちとの間でその点を際立たせるべきだという気がするのです。よしんばそれが春日の局のように「権力(実は家光への盲愛)」であったとしても。
とまあ、こんなことを「自由」ということで考えながら今『ローマ人の物語』14巻を読んでおります。まんまと塩野氏の論調に乗せられている気もしないではないですけれど。
>当地は暖かく蝶々が飛んでおります。
こちらは今のところあらまし雪は溶けました。さぁ、次の雪がくるのはいつかな? と戦々恐々としています。
ヨタローさんは、暖かい陽射しをせめてお楽しみになってくださいね。
それでは失礼致します。
>何か大きい肉体的違いがあるように思います。
具体的には? です。
中国大陸出身者の知り合いって実は1人しかいないもんですから。(台湾系の人なら数人いるんですけど)
>どうして大奥が面白いのか?と思って昨日DVDを再度観賞しました。
>ちっとも面白くない。
『チャングムの誓い』をあれほど楽しんでおられたヨタローさんが『大奥』を面白くないとおっしゃるのが不思議です。どこに違いがあるのだろうと、私的に多いに興味を惹かれます。
私自身は春日の局がヒロインだった第2作の方がより好きなのですが、菅野美穂(天障院篤姫)と安達裕美(和宮)がヒロインだった第1作のほうがヨタローさんにはお好みかもしれませんね。
>「自由」という肉体的言葉も肉体的に不自由であるように感じます。ひょっとして「自由」とは精神的な「言葉」なのでしょうか?
実は、私もまさにそのことを最近考えていたのですよ。
1つは例のジェンキンス氏の『告白』です。氏と曽我ひとみさんは、2人のお嬢さんたちに
「私たちが暮らしているこの国は本当の世界とはかけ離れている。ここは普通の世界などではないのだ」
とおっしゃっていたそうです。でも、お嬢さんたちは信じようとなさらなかったとか。
「彼女たちは北朝鮮という世界しか知らなかったのだから」
と、その章を結んでおられますね。
一方で、例の塩野七生氏の『ローマ人の物語』14巻(いよいよ残りあと1巻になりました)で目下背教者ユリアヌスの部分を読んでいるのですが、彼の少年時代はなかなか悲惨です。
6歳で新皇帝に即位したばかりの従兄に父親を殺され、兄と2人幽閉同然の生活となります。そして、12,3歳でさらに僻地に追いやられるのですが、まだ僻地に送り出されるまえに彼はたまたまギリシア古典の世界を教え込んでくれる家庭教師に恵まれるわけです。それを心身に吸い込む形で、その後ユリアヌスは公の場に登場させられるまでを過ごすのですよ。
塩野氏は、それがユリアヌスの精神状態を救ったと指摘しておられますね。
「すべての面で苛酷な現実の中でも精神のバランスを失わないで生きていくのは、苛酷な現実とは離れた自分一人の世界をつくり出せるかどうかにかかっている。ユリアヌスが救われたのは、マルドニウス(リラ註:家庭教師)の手引きで入った、昔のギリシアの哲学と文学の世界に遊ぶことができたからであった」
ユリアヌスにしろ、ジェンキンス氏と曽我ひとみさんにしろ、結局
>精神的な
>「自由」
を持っておられたからこそ苛酷な現実を飛び越えることがお出来になったのではないでしょうか? そうすると、肉体的に他者からの強制的な圧力がないかどうかということは「自由」とは直接結びつかないということになるのでは?
いささか買いかぶれば、『大奥』のヒロインたちは皆いかにして「大奥」という物理的閉鎖空間から「精神的自由」を得ていくか、を描くべきだという気がします。そして、それが出来ない他の脇役たちとの間でその点を際立たせるべきだという気がするのです。よしんばそれが春日の局のように「権力(実は家光への盲愛)」であったとしても。
とまあ、こんなことを「自由」ということで考えながら今『ローマ人の物語』14巻を読んでおります。まんまと塩野氏の論調に乗せられている気もしないではないですけれど。
>当地は暖かく蝶々が飛んでおります。
こちらは今のところあらまし雪は溶けました。さぁ、次の雪がくるのはいつかな? と戦々恐々としています。
ヨタローさんは、暖かい陽射しをせめてお楽しみになってくださいね。
それでは失礼致します。
これは メッセージ 35126 (yotaro47j さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/35129.html