仙人さま【⊃トピ合致】
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2005/08/01 21:37 投稿番号: [32915 / 44985]
こんばんは。
>とにかく、来月は大変な時期ですので、お互いその前に体調を整えないといけませんね。
仙人さまにとってもお忙しい月なのですね。当然ですよね。社会人ですもの。盆にゆっくりできることは、私生活面でむしろなかなかありませんね。
>勘違いの抗議が来ても、毅然と対応出来るかどうかは、きっと力関係の問題もあるんでしょうね。
ご明察通りです。しょせん、客商売ですもの。
>引用って、単純に、他所から引用された部分であることとその引用元をはっきり明示しておけばいいというわけではなかったんですね...
詳しく述べる能力が私にはありませんが、まぁいろいろとあるのです。
>時には、潔く自分の過ちを認める、これが出来ない言論人、右にも左にもいますよね。決して少なくない数で。
言論界というのを拡大解釈してこのような掲示板まで含めれば、たしかに、
>決して少なくない数
そのような人物がおりますでしょう。だからこそ、以下のお言葉もまた私にとっては座右の銘に近いものとなりましょうね。
「窮地に陥った時の対処の仕方で、その人の器量が問われるという部分もある」
>はい、覚悟しております。
自らの器量、底の浅さを見透かされていることも。
「汝自身を知れ」
これこそが、自分の考えを公の場で表明する上での第1歩ではないでしょうか。少なくとも私はそう思っております。そして、
「他者は汝を知ることになる」
が第2歩目でしょう。
>ヤフー掲示板の中でも、生臭い話を一切スルーした日韓和やか交流トピもありますし、そういうトピと時に激しい応酬になることもある議論トピについて、(当たり前の話ですが)どちらが上でどちらが下云々と判断を下す気は全く無いです。
しごくもっともなお考えだと思います。賛成です。
>私の場合は、ここらで一度キッチリお互いの本音をぶつけて、やりあった方がいい、今、やりあわないと将来もっと大きな禍根を残すことになるという考えです
だからこそ、(おそらくROMのかたがたも含めて)多くの人たちがお2人のやり取りを注目していたのだと思います。そしてそれは、仙人さまお1人の力でやり遂げることができるものではありません。やはり、お相手が、自分の出来る範囲でとはいえ仙人さまの言葉を受け止めようとしたからだと思います。
だからこそ、彼がもう少しがんばってくれなかったことを惜しいと感じます。(再出現を期待しております)
>期待しております。
ごく簡単に説明します。
イエスに洗礼(バプテスマ)を授けたと言われるバプテスマのヨハネは、ユダヤ教をもっとも原理主義的に(昨今悪いイメージを伴う言葉になりましたが、もっとニュートラルな意味で)復古させなおそうという運動を展開しておりました。独立まえのイエスも、大なり小なりその運動に関わったと見られています。
ヨハネの教えの中心は、「正義」であり、「腐敗の追及」であり、「自ら清貧に甘んじる」ということでした。
結局彼は、当時のガリラヤ地方を治めていた領主ヘロデ(キリスト誕生時に生まれたての赤子を虐殺させたと言われるヘロデ大王の息子)とその姪との不倫の末の結婚を厳しく糾弾し、そのために捕らえられて斬首されます。それが、有名な「サロメと洗礼者ヨハネの首」のエピソードに繋がっていくのですが。(なお、このエピソードは史実的にはまったくウソだそうです)
この、洗礼者ヨハネの「弾劾の教え」の前提があってこそイエス・キリストの「愛」の教えが生まれてくる、というのがまぁ、一般的なキリスト教側の解釈ですね。
以上のようなところです。
「弾劾」から「愛」へ。これは、他の多くの場面で見られる現象ではないか、と愚考します。国際政治にも応用が効くのでは? もちろん、その裏側に「キツネと狸の化かし合い」があってこそ、ですが。
以上のようなところです。
それでは、失礼致します。
>とにかく、来月は大変な時期ですので、お互いその前に体調を整えないといけませんね。
仙人さまにとってもお忙しい月なのですね。当然ですよね。社会人ですもの。盆にゆっくりできることは、私生活面でむしろなかなかありませんね。
>勘違いの抗議が来ても、毅然と対応出来るかどうかは、きっと力関係の問題もあるんでしょうね。
ご明察通りです。しょせん、客商売ですもの。
>引用って、単純に、他所から引用された部分であることとその引用元をはっきり明示しておけばいいというわけではなかったんですね...
詳しく述べる能力が私にはありませんが、まぁいろいろとあるのです。
>時には、潔く自分の過ちを認める、これが出来ない言論人、右にも左にもいますよね。決して少なくない数で。
言論界というのを拡大解釈してこのような掲示板まで含めれば、たしかに、
>決して少なくない数
そのような人物がおりますでしょう。だからこそ、以下のお言葉もまた私にとっては座右の銘に近いものとなりましょうね。
「窮地に陥った時の対処の仕方で、その人の器量が問われるという部分もある」
>はい、覚悟しております。
自らの器量、底の浅さを見透かされていることも。
「汝自身を知れ」
これこそが、自分の考えを公の場で表明する上での第1歩ではないでしょうか。少なくとも私はそう思っております。そして、
「他者は汝を知ることになる」
が第2歩目でしょう。
>ヤフー掲示板の中でも、生臭い話を一切スルーした日韓和やか交流トピもありますし、そういうトピと時に激しい応酬になることもある議論トピについて、(当たり前の話ですが)どちらが上でどちらが下云々と判断を下す気は全く無いです。
しごくもっともなお考えだと思います。賛成です。
>私の場合は、ここらで一度キッチリお互いの本音をぶつけて、やりあった方がいい、今、やりあわないと将来もっと大きな禍根を残すことになるという考えです
だからこそ、(おそらくROMのかたがたも含めて)多くの人たちがお2人のやり取りを注目していたのだと思います。そしてそれは、仙人さまお1人の力でやり遂げることができるものではありません。やはり、お相手が、自分の出来る範囲でとはいえ仙人さまの言葉を受け止めようとしたからだと思います。
だからこそ、彼がもう少しがんばってくれなかったことを惜しいと感じます。(再出現を期待しております)
>期待しております。
ごく簡単に説明します。
イエスに洗礼(バプテスマ)を授けたと言われるバプテスマのヨハネは、ユダヤ教をもっとも原理主義的に(昨今悪いイメージを伴う言葉になりましたが、もっとニュートラルな意味で)復古させなおそうという運動を展開しておりました。独立まえのイエスも、大なり小なりその運動に関わったと見られています。
ヨハネの教えの中心は、「正義」であり、「腐敗の追及」であり、「自ら清貧に甘んじる」ということでした。
結局彼は、当時のガリラヤ地方を治めていた領主ヘロデ(キリスト誕生時に生まれたての赤子を虐殺させたと言われるヘロデ大王の息子)とその姪との不倫の末の結婚を厳しく糾弾し、そのために捕らえられて斬首されます。それが、有名な「サロメと洗礼者ヨハネの首」のエピソードに繋がっていくのですが。(なお、このエピソードは史実的にはまったくウソだそうです)
この、洗礼者ヨハネの「弾劾の教え」の前提があってこそイエス・キリストの「愛」の教えが生まれてくる、というのがまぁ、一般的なキリスト教側の解釈ですね。
以上のようなところです。
「弾劾」から「愛」へ。これは、他の多くの場面で見られる現象ではないか、と愚考します。国際政治にも応用が効くのでは? もちろん、その裏側に「キツネと狸の化かし合い」があってこそ、ですが。
以上のようなところです。
それでは、失礼致します。
これは メッセージ 32906 (komtang15 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/32915.html