横 シルミド、笑って、途中で見るのやめ
投稿者: rcc00114 投稿日時: 2005/06/07 01:59 投稿番号: [32086 / 44985]
てしまった。
テレビでなく、ビデオで借りてしまった・・・損した・・・・(後悔)
あれは70年代の香港映画ですね。
そう感じたので、アホらしく、途中でやめた。最後の方はチラホラとばしみて、さらにガッカリして・・・・
隊長撲殺、遺族カンカンというので調べたら、ホント、確かに、話しにならないくらい、ヒドイね〜、こりゃ。
韓国も北に派遣する間諜(北派工作員)を朝鮮戦争当時の1951年から養成し、1994年までに13,000人くらいが訓練を受け、
そのうち、北朝鮮に派遣された7,800人余りが死亡・失踪している。
これはベトナム戦争での死亡・失踪者を上回る。
韓国では、彼らを「北派工作員」とは呼ばず、公式には「特殊任務要員」といわれている。女性も大勢いた。
映画では、刑務所にいる受刑者から選抜したことになっているが(主人公を演じる「薛 景求(ソル ギョング)」もそのような設定)、これは誤りで、
いわゆる一本釣りで集められた。職業も、サーカスの団員、料理人、愚連隊、占い師、偽僧侶、ナイトクラブの歌手、屋台の主人などさまざまであった。
全て一般人であった。彼らは「訓練兵」、「工作員」などと呼ばれた。
待遇は最高で、食料は量、質ともにすばらしく、給与も高かった。しかし、彼らは外部との接触が禁止され、戸籍も抹消された。給料の使い道、送り先がなかったのである。
訓練は過酷で、怪我をして復帰できず、さりとて島から出すわけには行かないので、炊事兵にするしかなかった。訓練に耐えかねて脱走した者が2名いたが、捕捉され「基幹要員」の命令により「訓練兵」によって撲殺された。
1968年10月30日から11月2日にかけて、韓国の日本海側に北の武装ゲリラ120名が相次いで上陸し、韓国の住民の宣撫工作を行い、それに従わない者を殺戮するという事件が発生した。
北は上陸さえすれば直ちに韓国の住民が呼応すると安易に考えていたが、これとは逆で住民の通報で程なく鎮圧されてしまった。
そのうちに、これまで良かった待遇が見る見るうちに落ちてきた。それはまず食事に現れた。米食は麦食となり、肉が出されることが少なくなった。
「訓練兵」の士気は落ち、ささいなことで「基幹要員」と争うようになった。このころになると「訓練兵」も過酷な訓練によって力を付け、「基幹要員」とは実力でも肩を並べるようになっていた。
「訓練兵」の士気は落ち、1970年10月、隣接する「舞衣島」の国民学校(小学校)に3名の「訓練兵」が乱入する事件が発生し、これを鎮圧する「訓練兵」が突入する前に自決して果てるという事件が発生した。こうして「訓練兵」は24名となった。
「金日成主席宮爆破命令」は下りない、さりとて「実尾島」から抜け出せない。「訓練兵」は爆発寸前となっていた。しかし、誰も手を打てないでいた。
そうしたなか、1971年8月22日(日)、「訓練兵」24名が決起した。ソウルに行って状況を上層部に訴えようというのである。
「訓練兵」には指導教官として「基幹要員」が1名付けられていたが、「訓練兵」はその指導教官の「基幹要員」を殺害して島を脱出するという計画であった。
まず、教育隊長「金 正哲(キム ジョンチョル)」が殺害され、順次「基幹要員」が殺害された。殺害された「基幹要員」は隊長も含めて18名、
たまたま厠にいて便つぼに隠れて助かった者、海岸に逃げて岩陰に隠れた者、撃たれたが幸いにして助かった者、など6名が生き残った。
なかにはたまたま主張中で襲撃に会わなかった幸運な「基幹要員」もいた。
「訓練兵」も2名が亡くなった。
一人は「訓練兵」によって殺害されたといわれている。
「訓練兵」のなかにも対立があったのである。
テレビでなく、ビデオで借りてしまった・・・損した・・・・(後悔)
あれは70年代の香港映画ですね。
そう感じたので、アホらしく、途中でやめた。最後の方はチラホラとばしみて、さらにガッカリして・・・・
隊長撲殺、遺族カンカンというので調べたら、ホント、確かに、話しにならないくらい、ヒドイね〜、こりゃ。
韓国も北に派遣する間諜(北派工作員)を朝鮮戦争当時の1951年から養成し、1994年までに13,000人くらいが訓練を受け、
そのうち、北朝鮮に派遣された7,800人余りが死亡・失踪している。
これはベトナム戦争での死亡・失踪者を上回る。
韓国では、彼らを「北派工作員」とは呼ばず、公式には「特殊任務要員」といわれている。女性も大勢いた。
映画では、刑務所にいる受刑者から選抜したことになっているが(主人公を演じる「薛 景求(ソル ギョング)」もそのような設定)、これは誤りで、
いわゆる一本釣りで集められた。職業も、サーカスの団員、料理人、愚連隊、占い師、偽僧侶、ナイトクラブの歌手、屋台の主人などさまざまであった。
全て一般人であった。彼らは「訓練兵」、「工作員」などと呼ばれた。
待遇は最高で、食料は量、質ともにすばらしく、給与も高かった。しかし、彼らは外部との接触が禁止され、戸籍も抹消された。給料の使い道、送り先がなかったのである。
訓練は過酷で、怪我をして復帰できず、さりとて島から出すわけには行かないので、炊事兵にするしかなかった。訓練に耐えかねて脱走した者が2名いたが、捕捉され「基幹要員」の命令により「訓練兵」によって撲殺された。
1968年10月30日から11月2日にかけて、韓国の日本海側に北の武装ゲリラ120名が相次いで上陸し、韓国の住民の宣撫工作を行い、それに従わない者を殺戮するという事件が発生した。
北は上陸さえすれば直ちに韓国の住民が呼応すると安易に考えていたが、これとは逆で住民の通報で程なく鎮圧されてしまった。
そのうちに、これまで良かった待遇が見る見るうちに落ちてきた。それはまず食事に現れた。米食は麦食となり、肉が出されることが少なくなった。
「訓練兵」の士気は落ち、ささいなことで「基幹要員」と争うようになった。このころになると「訓練兵」も過酷な訓練によって力を付け、「基幹要員」とは実力でも肩を並べるようになっていた。
「訓練兵」の士気は落ち、1970年10月、隣接する「舞衣島」の国民学校(小学校)に3名の「訓練兵」が乱入する事件が発生し、これを鎮圧する「訓練兵」が突入する前に自決して果てるという事件が発生した。こうして「訓練兵」は24名となった。
「金日成主席宮爆破命令」は下りない、さりとて「実尾島」から抜け出せない。「訓練兵」は爆発寸前となっていた。しかし、誰も手を打てないでいた。
そうしたなか、1971年8月22日(日)、「訓練兵」24名が決起した。ソウルに行って状況を上層部に訴えようというのである。
「訓練兵」には指導教官として「基幹要員」が1名付けられていたが、「訓練兵」はその指導教官の「基幹要員」を殺害して島を脱出するという計画であった。
まず、教育隊長「金 正哲(キム ジョンチョル)」が殺害され、順次「基幹要員」が殺害された。殺害された「基幹要員」は隊長も含めて18名、
たまたま厠にいて便つぼに隠れて助かった者、海岸に逃げて岩陰に隠れた者、撃たれたが幸いにして助かった者、など6名が生き残った。
なかにはたまたま主張中で襲撃に会わなかった幸運な「基幹要員」もいた。
「訓練兵」も2名が亡くなった。
一人は「訓練兵」によって殺害されたといわれている。
「訓練兵」のなかにも対立があったのである。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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