なんでも「似非」
投稿者: aqualine2000jp 投稿日時: 2005/02/24 10:52 投稿番号: [29830 / 44985]
横から失礼。
半島では儒教が根本だと言う。キリスト教徒も多い。
これらの根付き方にはとても疑問と言うか確信がございます。
ひとつの「推論」「仮説」」として。
キリスト教を知った半島の方は「ひとつの神を信じれば救われる」「懺悔すれば罪はチャラ」
この辺に痛く感激し入信・普及したのではないかと。
儒教が根強い、と。
「上が絶対、下は服従」
つまり、上に媚びておけば下には傍若無人に振舞える。
この辺が性分に合ったのではないか、と。
(かなり「偏見」)
でもねぇ、なんとなく「納得」「共感」は得られると思うのですよ。
で、なごやん氏の経験。
おっしゃるとおり「立場が上」だから、卑屈なくらい「へりくだった」とすればとても自然。
彼らに「後輩」それも日本人の、ができたとき、その態度はなごやん氏(他、上の方々)にへりくだった反発が爆発すると思われるのですが。
経過を要観察。できることなら。
さらに、「違いを認め共生」とは聞こえはいいが、彼らの「傍若無人」をこちらが諌めずとも自主的に「違う社会」と認識し自粛すると言う保証が無ければ、到底実現は不可能だと思います。
彼ら同士でやっていることに対しては、こちらはある程度許容すべきとは思いますが、それにしても仲間内とはいえ、日本社会の中で「上が絶対」なんて前時代的な主従関係を振り回されるのは「見ていて不快」。それを「放っとけ」と言うのかもしれませんが。
見るに見かねて助け舟を出す状況を「作るべきではない」
つまり、「日本社会」である以上、「日本国」である以上、「彼ら」が確実に自粛・変革しなければ、「共生」は絶対にムリ、となります。
逆に日本人があちらに行くなら、あちらにあわせるか、日本人同士ひっそりと風習を維持するかしかないと思います。
日本人がいう「共生」は、まことに理想的ですが、彼らが言う「共生」は、儒教・キリスト教に同じく、「自分たちが都合よく暮らすために相手を黙らせる方便」、つまり「似非共生」「一方的な寄生」であると考えます。
(この場合の「彼ら」がどのような方々か、は、ご理解いただけるかと)
これは メッセージ 29829 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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