リラさんやあ。次は運命論。
投稿者: nachtigall06 投稿日時: 2005/02/17 23:18 投稿番号: [29516 / 44985]
いやまったく、酷いレッテルを貼ってくれる。
よりによって運命論者とは私が一番嫌いなレッテルだ。
私は物事のあり様は何事も必然的な結果で、青天のへきれきなんぞは人間の行為の場合はありえないと考えています。
確かに人間のありようは外的条件によって基礎が形成され、さらにその上に経験が積み重なって記憶の現実社会への作用が人間の行動であり、それすらもが反応でしかないと考えています。
しかし、その作用を行なう実体はその人間そのもので、受動的反応もまた行いであるわけです。
例えばライオンが居ます。
ライオンは自然の存在でそこにあるものです。
人はそのそばに行かなければならない必要に迫られる場合があります。例えば鉄道を敷設する場合。
ライオンは当然、本能で考えることなく人間を捕食しようとします。
運命だから仕方ないというわけで食べられるのは状況的にオカシイのは判りますね。
ライオンに罪は無いものの、こちらも自身を保全しなければなりません。
よって、捕食されないようにしなければなりません。
この場合、ライオンから力を奪わなくてはなりません。
よって、
1・封印する。例えば檻に入れる。
2・破壊する。射殺するわけですね。
3・攻撃力のみを取り上げる。
牙を抜く、爪を取り去る。
反応行動の結果とはいえここまで出来るわけです。
相手に罪が無くとも、自らの保全のために相手に力を及ぼし、処分する。
これは必然の結果です。
ありとあらゆる事は必然の連鎖の結果で、起こるべくして起きます。
運命に思えるのは、知覚する事が出来なかっただけです。
また受動的作用を行なう実体が人であるかぎり、自らの保護の為にはなんらかの処分が必要です。
相手の構成から考えて当然の事であっても。
一般に運命と誤認されるものの大半は、自らの構成要素である人格(外的要因の蓄積した記憶そのもの)が招きよせた結果や状況です。
それを回避したければ、
自らの構成する要素を大幅に変更すれば結果はおのずと異なります。
未来は変えられるという事です。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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