仙人殿(1)【お気に召すまま】
投稿者: clionomiko 投稿日時: 2005/01/07 14:23 投稿番号: [27421 / 44985]
ご機嫌よろしいようでなによりですな。
たまには役割を交代させてみようかと思い、clionomikoとして参上いたしましたぞえ。
>洗濯して一寝入りして起きたら、もうこんな時間です。
休日なんて、こんなもんなんでしょうね。
リラなどはそれに食事のしたくおよび片付けくらいしか付け加えるものがないという怠慢ぶりですのじゃ。
>日本・韓国に限らない事でしょうし、何か買うという楽しみもありますから、それはそれでいいんでしょうけどねぇ。
一緒に中東に出かけたご婦人(年上)が、
「やっぱり、このくらいは買い物ができるところに連れていってもらわないとそれはそれで不満がでるのよ」
と言わしゃったので、なるほどのぉと感心したわらわでござりました。
>ラクダに乗ったり、スフィンクスだかピラミッドのそばにあるケンタッキーフライドチキンも見ましたか?
ラクダはシナイ山登山のとき勧められたものの、高所恐怖症のためパス。歩いて登る組に入りましたぞえ。
ケンタッキーは見かけなんだが、ギザのピラミッドのすぐ側まで集合住宅やアパートが迫っているのには、ビックリしたりげんなりしたり。ガイド氏いわく、
「皆様が次においでになるときは、ピラミッドはひとの家の庭先に建っているでしょう」
とのこと。延々とつづく砂漠の原のなかにたつ3つの△型というわらわの夢は、夢のままに終わりましたな。
>個人的には、そのカイロ大学の学生さんの日本語、興味あります。
自分たちの言葉を、外国で外国人がきちんとした形で使っているという話を聞くと、非常にうれしく感じるのですが、これって、ある意味では、外国人が韓国で韓国語をしゃべっていると、喜ぶのと根っこは同じなのかも?とも思います。
むろんその感情もござりましたが、どちらかというと、「新宿や渋谷にたむろしている若い連中の言葉より、よっぽど美しい日本語じゃな」という感じでしたな。
>たぶん、そういう思想の人が、そっちでガイドをやりながら生活していたんだと推測していますが、宗教人が嵌り易い落し穴の一つだなぁと感じました。
>宗教って、人智を超える領域の世界の事だけに、他者に対しての謙虚さが時々消えちゃう事があるんですよね。
それを善意という鎧を着てやってしまうもんだから、ホントに重症になっちゃう事もあるんですけど。
おっしゃる通りでござりましょう。そのガイドの婦人、キリスト教がユダヤ教徒に犯した罪の償いにはやたらと熱心で、「ホテルで出された石鹸類は、できれば毎日回収して私に渡してください。着の身着のままでイスラエルに逃げてくるユダヤ人にとっては、貴重な品なのです」との仰せ。
たしかに、いまだにユダヤ人を圧迫している国々がござることはたしかゆえ、それを批判は致しませぬ。だが、その反動で、宗教人がパレスティナ人やモスリムへの反感をあらわにしてもよいのか、というという自問は頭の片隅にも浮かばぬ様子でございましたな。
>まぁとにかく、軽い気持ちでやってみてください。
最初の段階では、ホントに簡単だなぁって感じると思いますよ。
リラの尻を叩いて頑張らせましょうぞ。
>その次に、官界が位置すると思います。
ああ、それもございましたなぁ。
「慣例」と、「仕事に対する厳密さ」「誠実な品質管理」。
人間が人間を相手にする場合には、必ずしも「厳密さ」や「誠実」ばかりではうまくゆかぬことはわらわにも理解できまする。じゃが、限度という一線は必ずあるはず。その一線を見極めることは、これまた至難の業でございまするがの。
それでは、以下(2)にて。
たまには役割を交代させてみようかと思い、clionomikoとして参上いたしましたぞえ。
>洗濯して一寝入りして起きたら、もうこんな時間です。
休日なんて、こんなもんなんでしょうね。
リラなどはそれに食事のしたくおよび片付けくらいしか付け加えるものがないという怠慢ぶりですのじゃ。
>日本・韓国に限らない事でしょうし、何か買うという楽しみもありますから、それはそれでいいんでしょうけどねぇ。
一緒に中東に出かけたご婦人(年上)が、
「やっぱり、このくらいは買い物ができるところに連れていってもらわないとそれはそれで不満がでるのよ」
と言わしゃったので、なるほどのぉと感心したわらわでござりました。
>ラクダに乗ったり、スフィンクスだかピラミッドのそばにあるケンタッキーフライドチキンも見ましたか?
ラクダはシナイ山登山のとき勧められたものの、高所恐怖症のためパス。歩いて登る組に入りましたぞえ。
ケンタッキーは見かけなんだが、ギザのピラミッドのすぐ側まで集合住宅やアパートが迫っているのには、ビックリしたりげんなりしたり。ガイド氏いわく、
「皆様が次においでになるときは、ピラミッドはひとの家の庭先に建っているでしょう」
とのこと。延々とつづく砂漠の原のなかにたつ3つの△型というわらわの夢は、夢のままに終わりましたな。
>個人的には、そのカイロ大学の学生さんの日本語、興味あります。
自分たちの言葉を、外国で外国人がきちんとした形で使っているという話を聞くと、非常にうれしく感じるのですが、これって、ある意味では、外国人が韓国で韓国語をしゃべっていると、喜ぶのと根っこは同じなのかも?とも思います。
むろんその感情もござりましたが、どちらかというと、「新宿や渋谷にたむろしている若い連中の言葉より、よっぽど美しい日本語じゃな」という感じでしたな。
>たぶん、そういう思想の人が、そっちでガイドをやりながら生活していたんだと推測していますが、宗教人が嵌り易い落し穴の一つだなぁと感じました。
>宗教って、人智を超える領域の世界の事だけに、他者に対しての謙虚さが時々消えちゃう事があるんですよね。
それを善意という鎧を着てやってしまうもんだから、ホントに重症になっちゃう事もあるんですけど。
おっしゃる通りでござりましょう。そのガイドの婦人、キリスト教がユダヤ教徒に犯した罪の償いにはやたらと熱心で、「ホテルで出された石鹸類は、できれば毎日回収して私に渡してください。着の身着のままでイスラエルに逃げてくるユダヤ人にとっては、貴重な品なのです」との仰せ。
たしかに、いまだにユダヤ人を圧迫している国々がござることはたしかゆえ、それを批判は致しませぬ。だが、その反動で、宗教人がパレスティナ人やモスリムへの反感をあらわにしてもよいのか、というという自問は頭の片隅にも浮かばぬ様子でございましたな。
>まぁとにかく、軽い気持ちでやってみてください。
最初の段階では、ホントに簡単だなぁって感じると思いますよ。
リラの尻を叩いて頑張らせましょうぞ。
>その次に、官界が位置すると思います。
ああ、それもございましたなぁ。
「慣例」と、「仕事に対する厳密さ」「誠実な品質管理」。
人間が人間を相手にする場合には、必ずしも「厳密さ」や「誠実」ばかりではうまくゆかぬことはわらわにも理解できまする。じゃが、限度という一線は必ずあるはず。その一線を見極めることは、これまた至難の業でございまするがの。
それでは、以下(2)にて。
これは メッセージ 27376 (komtang15 さん)への返信です.
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