「依存」の実例
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/12/12 18:36 投稿番号: [25906 / 44985]
>今後別の場所で(「依存」という言葉を)お使いになるときは、
>正確な語意を確認されてから表現されることをお勧め致します。
すべてを日本という存在に依存しつつ語る韓国知識人こそが、
韓国のすべての問題を<日本化>しているのである。
日本との関係なしで韓国を語れなくしている。
韓国知識人が「ウリナラ」固有の文化を讃えるときも同じである。
たとえば美術評論家の崔淳雨(1916〜84)が韓国美を自賛する文を見よ。
「韓国の住まいは、日本の家のようにきめこまかくて神経質な意匠や、
造りの上での技巧美を誇ったりはしない。
人為的でみみっちい築山や、床屋に行ってきたような庭木で庭を飾り立てたりはしない。
そして中国の家のように大げさでもない。
韓国の住まいはこざっぱりとして、落ち着きがあり、
韓国の自然の風光にその大きさがしっくりと馴染んでいる。」
(「われらの美術」)
韓国人の耳に最も心地よい理屈の響きのパターンが、ここには宿っている。
これは「日本の造形はAであるがゆえに美ではない」
「中国の造形はBであるがゆえに美ではない」と一方的に規定し、
そして「韓国の造形はAでもBでもない。それゆえ美である」というかたちで、
韓国美を自己愛しているにすぎないのである。
このような思考は韓国知識人に共通して見られる。
韓国の文化を説明するのに、日本や中国や西欧を否定的に媒介させて語る。
その中でも特に日本との比較に眼目が置かれる。
韓国を日本や中国や西欧に従属させる思考とは、このようなことをいうのである。
(「韓国は一個の哲学である」P229〜230)
これは メッセージ 25817 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/kldabaaf_1/25906.html