お2人へ(緊急)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/11/15 14:18 投稿番号: [24903 / 44985]
>恋人さん
>李殿
お2人とも、まずはこんにちは。
ようやく11月らしい肌寒さが本格的になってきましたが、体調には気をつけておられますか?
あくまでも私の意見ですが、お2人にそれぞれ耳を傾けていただきたいことがあるので目を通してくださればうれしいです。
まず、恋人さんへ
>日本の韓国併合は差別はあったものの、内鮮一体化などまさに同等に扱おうという意思は十分に読み取れますね。
このご文章にはいささか矛盾が含まれていますね。
>日本の韓国併合は差別はあった
>内鮮一体化などまさに同等に扱おうという意思
結局のところ、明治政府の李氏朝鮮に対する接触からはじまって敗戦に至るまで、日本人側から朝鮮人への「差別」そのものはあったのでしょうか、なかったのでしょうか?
私は以下のように考えます。
1.現在韓国および北朝鮮で騒がれているほど大掛かりな差別行為はなかったと思われる。
2.俯瞰的に見て、日本人の(政策を立案する政府という意味ではなく)差別行為が皆無であったとは言えない。
1.についてはこのトピでも韓国トピ等でも散々語られているので、2.について少々。
1920〜1925年までを京城で過ごした中島敦は、1929年に発表した『巡査の居る光景』で朝鮮人の巡査を主人公に、朝鮮人と日本人のあいだに横たわる微妙な(あくまでも微妙な)差別−被差別感覚を細やかに描いています。
もう1つ。戦前、皇族から李王朝最後の皇太子に嫁がれた李(梨本宮)方子妃は、関東大震災のころを回想されて次のように述べておられます。(『李方子妃』 渡辺みどり著 中公文庫)
「殊に心ない方は私の聞こえる所で朝鮮人は悪いとか何とかって言うことをちょいちょい耳にして本当に私はそれが嫌だったんです。心なく何となく横でぷっと言ったりなさる方がございましたから、それが私は一等悲しく、聞こえる所で言って欲しくないという、憤りの様な気持ちも持ったことがございました。あんな事はおっしゃって下さりたくないと思うことがちょいちょいございました」
しかし、この2つのエピソードから読み取れるもう1つの要素があります。
中島敦が↑のような作品を昭和4(1929)年に堂々と発表できる空気が日本にあったということです。
また李方子妃は、関東大震災以前に朝鮮半島を訪問されたときご長男の晋王子を不審の残る状態で失っておられます。にもかかわらず、↑のような発言をなさっておられるのです。これこそが、何人であるということを超えた人間の品格だと私は思っております。
李殿へ
>>でも、それを逆恨みするのだから、やはり韓国・朝鮮の人はどうしようもない人たちだと言えるでしょうね。
リラさんが言われるとおり、私の「嫌韓」は韓国側の「反日」に対するリアクションです。
>正当化するんじゃないよ。
人の振り見て我が不利治せ。
その逆は考えた事ないのか。
ここまでは、李殿に全面的に賛成です。
>やはり韓国・朝鮮の人はどうしようもない人たちだと言える
というのは、あきらかに個人差があるはずの韓国・朝鮮の人々を一まとめにした表現です。当然、「どうしようもない」韓国・朝鮮の人はおり、同時に「どうしようもない」日本人も、「どうしようもない」アメリカ人も、「どうしようもない」イラク人……もいるというのが現実ですから。
ただ、それから後の文章、
>基本的にマイナス思考やから無理かも知れんけどね。
>せいぜい余生を韓嫌派増やす事に費やしてください。あなたの使命みたいですから。
というこれらは、やはりアクションに対するリ・アクションですよ。
韓国トピに再登場した例の人物のような類に対して同レベルの日本人が同レベルのレスを返す。それにまた例の人物がコメントしてくる。こうして、アクション→リ・アクション→リ・リ・アクションが繰り返されたら、無限にレベルの低いほうへの「依存」が強まっていくだけです。
李方子妃が言っておられたという2つの言葉でこの投稿を締めくくります。これをどうお取りになるかは、お2人のご自由です。
「私の祖国は二つあります。一つは生まれ育った国、そしてもう一つは私が骨を埋める国です」
「過去は二度と帰って来ない。ですから、愚痴を言う暇に先の事を考えて、毎日を自分で制しながら一歩一歩明るく努力して続けていくということね、それをモットーにして生きて参りました」
>李殿
お2人とも、まずはこんにちは。
ようやく11月らしい肌寒さが本格的になってきましたが、体調には気をつけておられますか?
あくまでも私の意見ですが、お2人にそれぞれ耳を傾けていただきたいことがあるので目を通してくださればうれしいです。
まず、恋人さんへ
>日本の韓国併合は差別はあったものの、内鮮一体化などまさに同等に扱おうという意思は十分に読み取れますね。
このご文章にはいささか矛盾が含まれていますね。
>日本の韓国併合は差別はあった
>内鮮一体化などまさに同等に扱おうという意思
結局のところ、明治政府の李氏朝鮮に対する接触からはじまって敗戦に至るまで、日本人側から朝鮮人への「差別」そのものはあったのでしょうか、なかったのでしょうか?
私は以下のように考えます。
1.現在韓国および北朝鮮で騒がれているほど大掛かりな差別行為はなかったと思われる。
2.俯瞰的に見て、日本人の(政策を立案する政府という意味ではなく)差別行為が皆無であったとは言えない。
1.についてはこのトピでも韓国トピ等でも散々語られているので、2.について少々。
1920〜1925年までを京城で過ごした中島敦は、1929年に発表した『巡査の居る光景』で朝鮮人の巡査を主人公に、朝鮮人と日本人のあいだに横たわる微妙な(あくまでも微妙な)差別−被差別感覚を細やかに描いています。
もう1つ。戦前、皇族から李王朝最後の皇太子に嫁がれた李(梨本宮)方子妃は、関東大震災のころを回想されて次のように述べておられます。(『李方子妃』 渡辺みどり著 中公文庫)
「殊に心ない方は私の聞こえる所で朝鮮人は悪いとか何とかって言うことをちょいちょい耳にして本当に私はそれが嫌だったんです。心なく何となく横でぷっと言ったりなさる方がございましたから、それが私は一等悲しく、聞こえる所で言って欲しくないという、憤りの様な気持ちも持ったことがございました。あんな事はおっしゃって下さりたくないと思うことがちょいちょいございました」
しかし、この2つのエピソードから読み取れるもう1つの要素があります。
中島敦が↑のような作品を昭和4(1929)年に堂々と発表できる空気が日本にあったということです。
また李方子妃は、関東大震災以前に朝鮮半島を訪問されたときご長男の晋王子を不審の残る状態で失っておられます。にもかかわらず、↑のような発言をなさっておられるのです。これこそが、何人であるということを超えた人間の品格だと私は思っております。
李殿へ
>>でも、それを逆恨みするのだから、やはり韓国・朝鮮の人はどうしようもない人たちだと言えるでしょうね。
リラさんが言われるとおり、私の「嫌韓」は韓国側の「反日」に対するリアクションです。
>正当化するんじゃないよ。
人の振り見て我が不利治せ。
その逆は考えた事ないのか。
ここまでは、李殿に全面的に賛成です。
>やはり韓国・朝鮮の人はどうしようもない人たちだと言える
というのは、あきらかに個人差があるはずの韓国・朝鮮の人々を一まとめにした表現です。当然、「どうしようもない」韓国・朝鮮の人はおり、同時に「どうしようもない」日本人も、「どうしようもない」アメリカ人も、「どうしようもない」イラク人……もいるというのが現実ですから。
ただ、それから後の文章、
>基本的にマイナス思考やから無理かも知れんけどね。
>せいぜい余生を韓嫌派増やす事に費やしてください。あなたの使命みたいですから。
というこれらは、やはりアクションに対するリ・アクションですよ。
韓国トピに再登場した例の人物のような類に対して同レベルの日本人が同レベルのレスを返す。それにまた例の人物がコメントしてくる。こうして、アクション→リ・アクション→リ・リ・アクションが繰り返されたら、無限にレベルの低いほうへの「依存」が強まっていくだけです。
李方子妃が言っておられたという2つの言葉でこの投稿を締めくくります。これをどうお取りになるかは、お2人のご自由です。
「私の祖国は二つあります。一つは生まれ育った国、そしてもう一つは私が骨を埋める国です」
「過去は二度と帰って来ない。ですから、愚痴を言う暇に先の事を考えて、毎日を自分で制しながら一歩一歩明るく努力して続けていくということね、それをモットーにして生きて参りました」
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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