恋人さん(2)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/10/28 15:55 投稿番号: [24311 / 44985]
つづきまして、本論へ。
> 確かに、其の言葉の中身につき意見を交換するほうが良いに決まっていますが、ここまでこの「共生」という言葉にナゴヤンさんがこだわると、この単語使用に関しても言わざるを得ません。
私にとっては「共生」よりも彼の「韓国」と「韓国人」の言葉の使い分けのほうが問題と判断します。
おそらくこのようなトピで韓国、と言う言葉が出れば、それは「韓国政府」もしくは「韓国人一般」を指すでしょう。日本、という場合にも同じです。
私は、「日本」と「韓国」が「信頼を伴った共生」だろうと「友好へと発展し、双方向の赦しが通い合う」関係だろうと、それらを築くことなどあり得ないと思っています。
それらのことは、ある日本人個人とある韓国人個人のあいだで起こることです。「日本」と「韓国」ができることは、このAという日本人とZという韓国人が巡り会うチャンスを増やす「交流の場」というハードを整えることだけです。それから先に、「信頼感」「友好」「双方向の赦し」などというソフトを築けるかどうかは、AとZの人間性にかかっています。
この部分を、ナゴヤン氏はきちんと分別して述べているように思えなくなるときがあります。
>隣国であることから逃れられないという現実と、「信頼ある共生」など無理というご指摘は、まさにそのとおりだと思います。
では、どうすれば良いのでしょうか?
アメリカとカナダのようになることが日韓においても、その他のベトナムとカンボジア……においても理想であることは賛成です。ですが、韓国人の一般的雰囲気は(「一般的雰囲気」と言ってもいいでしょう。ウリ党とノムヒョン政権を選択したのは韓国人の少なくとも過半数であることはたしかですから)
>そのためには韓国がもっと大人の国になり、数え切れないほどの捏造・欺瞞・非難・中傷を反省して取りやめなければ不可能です。
とご指摘になっている状態です。そのほうが、彼らにとっては精神的に楽なのでしょう。精神的に楽なことをやめるには、よほど経済的に困窮しない限り、あるいは国の状態が劇的に悪化しない限り、あり得ないと私は思います。
ですから、私は、日本人がなぜ自分たちは「韓国」と交流しなければならないか、を冷静にわきまえておけばよいだけだと思っています。そして、その冷徹な「交流」を絶やさないし、絶やさせない状態に「韓国」自身を追い込むことです。
国と国をあげての友情ごっこは、宮中晩餐会場での社交辞令ならばエチケットの範囲内ですが、それを本気にし始めるのは私にはむしろ気持ちが悪いです。
ある1人の韓国人と心が通い合った、それだけで私には十分以上の幸運だと思えます。日本人同士でさえ、めったにそういうことは起こりませんから。
具体論は次レスにて。
> 確かに、其の言葉の中身につき意見を交換するほうが良いに決まっていますが、ここまでこの「共生」という言葉にナゴヤンさんがこだわると、この単語使用に関しても言わざるを得ません。
私にとっては「共生」よりも彼の「韓国」と「韓国人」の言葉の使い分けのほうが問題と判断します。
おそらくこのようなトピで韓国、と言う言葉が出れば、それは「韓国政府」もしくは「韓国人一般」を指すでしょう。日本、という場合にも同じです。
私は、「日本」と「韓国」が「信頼を伴った共生」だろうと「友好へと発展し、双方向の赦しが通い合う」関係だろうと、それらを築くことなどあり得ないと思っています。
それらのことは、ある日本人個人とある韓国人個人のあいだで起こることです。「日本」と「韓国」ができることは、このAという日本人とZという韓国人が巡り会うチャンスを増やす「交流の場」というハードを整えることだけです。それから先に、「信頼感」「友好」「双方向の赦し」などというソフトを築けるかどうかは、AとZの人間性にかかっています。
この部分を、ナゴヤン氏はきちんと分別して述べているように思えなくなるときがあります。
>隣国であることから逃れられないという現実と、「信頼ある共生」など無理というご指摘は、まさにそのとおりだと思います。
では、どうすれば良いのでしょうか?
アメリカとカナダのようになることが日韓においても、その他のベトナムとカンボジア……においても理想であることは賛成です。ですが、韓国人の一般的雰囲気は(「一般的雰囲気」と言ってもいいでしょう。ウリ党とノムヒョン政権を選択したのは韓国人の少なくとも過半数であることはたしかですから)
>そのためには韓国がもっと大人の国になり、数え切れないほどの捏造・欺瞞・非難・中傷を反省して取りやめなければ不可能です。
とご指摘になっている状態です。そのほうが、彼らにとっては精神的に楽なのでしょう。精神的に楽なことをやめるには、よほど経済的に困窮しない限り、あるいは国の状態が劇的に悪化しない限り、あり得ないと私は思います。
ですから、私は、日本人がなぜ自分たちは「韓国」と交流しなければならないか、を冷静にわきまえておけばよいだけだと思っています。そして、その冷徹な「交流」を絶やさないし、絶やさせない状態に「韓国」自身を追い込むことです。
国と国をあげての友情ごっこは、宮中晩餐会場での社交辞令ならばエチケットの範囲内ですが、それを本気にし始めるのは私にはむしろ気持ちが悪いです。
ある1人の韓国人と心が通い合った、それだけで私には十分以上の幸運だと思えます。日本人同士でさえ、めったにそういうことは起こりませんから。
具体論は次レスにて。
これは メッセージ 24296 (koibitonoirumachikado さん)への返信です.
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