なごやん殿>朱子学について
投稿者: baek_jongdok 投稿日時: 2004/09/29 21:54 投稿番号: [22408 / 44985]
以前お聞きしようと思いながら、トピの流れが早過ぎて聞きそびれたのですが、、なごやん殿に並ぶ博識な某氏が引用されていたので、この機会に伺おうと思いまして・・・
なごやん殿は、現在の韓国の混迷振りを評して、李氏朝の東西南北派、老小派の派閥争いに譬え、李朝500年朱子学の伝統ではないかという御趣旨の投稿をされていましたが、そもそも李氏朝鮮時代の国家体制は、本当に朱子学乃至儒教に基づくものだったのでしょうか。
李氏朝鮮時代の科挙は、父、祖父、曽祖父、外祖中に顕官がいる所謂「両班」、殊に文班でなければ受験できなかったそうですが、元々科挙制度は「身分」、「家柄」によらず広く天下から有為の人材を登用するための制度の筈です。
ですから支那の科挙制度は、係累や身分は受験資格とは無関係だったと思います。
大体孔夫子ご自身が(確か)私生児でオマケに母親は(恐らくは)当時賎業とされた葬式を業とする一族の出身だったようですから、身分制度下では国政に参与することなど絶対にできない人物だったと思います。
そんな孔夫子が、国政に参与する者の資格を身分家柄で制約するようなことを認める筈はないでしょうから、李氏朝鮮時代の政治乃至国家制度は孔夫子の思想とも、支那の歴代王朝の政治乃至国家制度とも異なる極めて特殊なものだったのではないか、李氏朝鮮時代の宿痾は儒教や朱子学とは少なくとも直接の因果関係はないのではないか・・・と思っているのです。
勿論李氏朝鮮を語るときに性理学や李退渓は「つき物」ですし、李氏朝鮮と朱子学の関係の「深さ」は肯定的にも否定的にも指摘されています。
更に「虚学」である性理学が天文・地理.医学等の実学を「雑学」として蔑視し排斥したことによる深刻な悪影響も指摘されています。
しかし朱子学のどの部分が「東西南北派、老小派、洛湖派」の党争の原因となったのかについては、小生朱子学についても疎いもので(なんせ高句麗時代の人間ですからwww)全然分からんのです・・・
寧ろ学問上の論争とは無関係の政治的・地縁的対立が学派の紛争に持ち込まれ、というよりも政治的・地縁的紛争のために学問(このようなものが「学問」の名に値するのか、という点は別として)が濫用されたというのが実態なのではないでしょうか。
「四端七情理気論」における主理論と主気論の違いも、或いは「人物性異同論」における性同論であれ性異論であれ、現実の政治や地域とは何の関係もないのに、当たり前のように学問的な論争が党派対立・地域対決に結び付けられるという奇観は、朱子学に内在するなにものかが原因である、とは考えがたいのですが・・・・。
私としては、寧ろ支那という強大な覇権国家と国境を接し、波荒い海の向こうには好戦的(と思われる)民族が住む島国(日本ww)しかない、つまり半島国家でしかも逃げ場がないという環境が否応なく作り上げた民族性が原因なのではないか、と考えております(この点同じ半島国家でも、伊太利亜の場合は幸いにも大陸側に統一覇権国家がごく一時期を除いて成立せず、しかも地中海自体が内海ですから向い側のアフリカ大陸にでも何処にでも逃げ出せますが)。
こういう環境では、外に発展してゆくということは不可能ですから、内向的・閉鎖的にならざるを得ず、しかも国内についても日本の封建制のような「諸侯」が存在しないため、李王朝の官僚の主流派になる以外「勝組」には絶対なれない・・・
こうなると、政府・国家の中枢にある連中は、国政の舵取りはそっちのけで徒党を組んで他派閥を叩き落すことに血眼になるのは避けられないだろうと思います。
そしてこういう「仁義なき戦い」の場合は、一番頼りになるのは地縁であり血縁であり、それゆえに朝鮮半島では支那以上に姓と本貫に拘泥し、又地域対立・地域差別が厳しいものになる・・・
雑駁なカキコになりましたが、話を元に戻して朱子学と李氏朝鮮及び現在の韓国の党争の関係について、なごやん殿のご意見を承れればと思いまつ・・・
白宗徳 拝
なごやん殿は、現在の韓国の混迷振りを評して、李氏朝の東西南北派、老小派の派閥争いに譬え、李朝500年朱子学の伝統ではないかという御趣旨の投稿をされていましたが、そもそも李氏朝鮮時代の国家体制は、本当に朱子学乃至儒教に基づくものだったのでしょうか。
李氏朝鮮時代の科挙は、父、祖父、曽祖父、外祖中に顕官がいる所謂「両班」、殊に文班でなければ受験できなかったそうですが、元々科挙制度は「身分」、「家柄」によらず広く天下から有為の人材を登用するための制度の筈です。
ですから支那の科挙制度は、係累や身分は受験資格とは無関係だったと思います。
大体孔夫子ご自身が(確か)私生児でオマケに母親は(恐らくは)当時賎業とされた葬式を業とする一族の出身だったようですから、身分制度下では国政に参与することなど絶対にできない人物だったと思います。
そんな孔夫子が、国政に参与する者の資格を身分家柄で制約するようなことを認める筈はないでしょうから、李氏朝鮮時代の政治乃至国家制度は孔夫子の思想とも、支那の歴代王朝の政治乃至国家制度とも異なる極めて特殊なものだったのではないか、李氏朝鮮時代の宿痾は儒教や朱子学とは少なくとも直接の因果関係はないのではないか・・・と思っているのです。
勿論李氏朝鮮を語るときに性理学や李退渓は「つき物」ですし、李氏朝鮮と朱子学の関係の「深さ」は肯定的にも否定的にも指摘されています。
更に「虚学」である性理学が天文・地理.医学等の実学を「雑学」として蔑視し排斥したことによる深刻な悪影響も指摘されています。
しかし朱子学のどの部分が「東西南北派、老小派、洛湖派」の党争の原因となったのかについては、小生朱子学についても疎いもので(なんせ高句麗時代の人間ですからwww)全然分からんのです・・・
寧ろ学問上の論争とは無関係の政治的・地縁的対立が学派の紛争に持ち込まれ、というよりも政治的・地縁的紛争のために学問(このようなものが「学問」の名に値するのか、という点は別として)が濫用されたというのが実態なのではないでしょうか。
「四端七情理気論」における主理論と主気論の違いも、或いは「人物性異同論」における性同論であれ性異論であれ、現実の政治や地域とは何の関係もないのに、当たり前のように学問的な論争が党派対立・地域対決に結び付けられるという奇観は、朱子学に内在するなにものかが原因である、とは考えがたいのですが・・・・。
私としては、寧ろ支那という強大な覇権国家と国境を接し、波荒い海の向こうには好戦的(と思われる)民族が住む島国(日本ww)しかない、つまり半島国家でしかも逃げ場がないという環境が否応なく作り上げた民族性が原因なのではないか、と考えております(この点同じ半島国家でも、伊太利亜の場合は幸いにも大陸側に統一覇権国家がごく一時期を除いて成立せず、しかも地中海自体が内海ですから向い側のアフリカ大陸にでも何処にでも逃げ出せますが)。
こういう環境では、外に発展してゆくということは不可能ですから、内向的・閉鎖的にならざるを得ず、しかも国内についても日本の封建制のような「諸侯」が存在しないため、李王朝の官僚の主流派になる以外「勝組」には絶対なれない・・・
こうなると、政府・国家の中枢にある連中は、国政の舵取りはそっちのけで徒党を組んで他派閥を叩き落すことに血眼になるのは避けられないだろうと思います。
そしてこういう「仁義なき戦い」の場合は、一番頼りになるのは地縁であり血縁であり、それゆえに朝鮮半島では支那以上に姓と本貫に拘泥し、又地域対立・地域差別が厳しいものになる・・・
雑駁なカキコになりましたが、話を元に戻して朱子学と李氏朝鮮及び現在の韓国の党争の関係について、なごやん殿のご意見を承れればと思いまつ・・・
白宗徳 拝
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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