「平等」と「差別」
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2004/08/17 01:23 投稿番号: [20820 / 44985]
>白虎隊も新撰組も西郷ドンも奥羽列藩のみんなも祀られてない靖国はオカシイ。
>英霊とは「悲しみ」である。そして「悲しみ」に差別はありようがない。
与太郎殿は藤沢の清浄光寺をご存知かな?
時宗の総本山で遊行上人の寺として名高い。
そこに「敵味方供養塔」という石碑がある。
http://www.mus.city.fujisawa.kanagawa.jp/chrono_detail/N0010-2.htm鎌倉時代、禅秀の乱の時、戦没者を敵味方区別なく慰霊したもので、
同じような慰霊碑の先駆けといってよい。
今も同寺の駐車場の隅にひっそりと建っている。
わしはもう何度もお参りした。
この小さな石碑は、時代を超えてわしに弥陀の慈悲を語りかける。
それと同時にわしは靖国神社にも数限りなく参拝している。
この二つは慰霊のあり方がまったく違う。
仏教的な来世の「平等」に基づく慰霊と、神道的な現し世の「差別」を反映した慰霊。
しかし、わしはこの二つが二つながら同時にあっていいと思っている。
どちらかを取ってどちらかを捨てるのは、
それこそ「われよし」の恣意的な差別だと思う。
英霊は等しく「哀しい」。
しかし、その哀しみは英霊により様々であるんじゃ。
それぞれ個性をもった命なのだから。
これは メッセージ 20795 (yotaro47j さん)への返信です.
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