sonfanさん(5)
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/06/26 20:37 投稿番号: [19686 / 44985]
さて、いよいよ3です。
>東京の荒川が軍事境界線になり東が社会主義体制で50年前には同じ民族同士の東西戦争があって200万人が犠牲になった、東の国は独裁者が存在し核をちらつかせる。東の親戚には会うことも出来ないし手紙もままならない、東の民を救う為には戦争覚悟だ、50年前の戦争の再来を覚悟しても太陽政策など必要ない、生きるか死ぬかの大博打が最善策だと思いますか?
現在の日本人が、決断力が遅く、覚悟を決めることをぐずぐずと嫌がり、いったん決まったことでもあれこれと理由をつけて「自分とは関係がない」と言いたがる傾向が強いことは重々自覚しております。sonfanさんも、例のイラク人質事件の見苦しい騒ぎはご覧になったでしょう。あれが日本人の一方での体たらくです。
それから考えて、上に書かれているような事態になった時、日本人が現在の韓国人以上に覚悟の座った態度を取ることができると断言するほど私は傲慢ではありません。
しかし、こうは思います。覚悟の決まった態度をとることができないならば、それに値する結果を得るだけのことです。「1について」で縷々述べたことがまさに天に唾吐く結果となり、この日本においてそのような事態が起こるであろうと考えるのが論理的である。私にはそう言うしか術がありません。
ただ、2つのことは思います。まず、その場合の西日本の人間たちはアメリカのプレゼンスを落とすようなことはしないだろう、と。それは、戦後50数年間、あれやこれやと保守政治に文句を言いながらも彼らを与党としつづけたことで保証ずみと思います。
そしてもう1つ。これは、声を大にして申し上げたいことです。
実際に、日本を東西2つに割るかもしれない内戦をすでに日本人は戦っているのです。1868年の明治維新とそれにつづく戊辰戦争です。ここから先の考えは、会津藩士の子孫である配偶者と西日本出身者である私が死ぬまで意見を同じくできないところですが、あえて申します。
もし鳥羽・伏見の戦いで幕府がわが勝っていたら、また徳川慶喜将軍が恭順の道を選ばず東日本の諸藩に断固抵抗を命じていたら、日本は2つに分裂して長い戦いを戦い合わねばならなかったでしょう。そして、それぞれのバックについた英国とフランスの思惑に翻弄され、多くの流血沙汰を繰り返したあげく、西日本は英国の植民地に、東日本はフランスの植民地になっていたかもしれません。
個人的には、夫の先祖が官軍から受けた仕打ちに憤ることもございます。ですが、あの戊辰戦争で官軍が勝利して全国を維新政府の下に纏め上げてくれたことに感謝する気持ちは変わりません。
日本にお暮らしで生活基盤も日本社会にお持ちのお一人として、sonfanさんにもどうかわかっていただきたいのです。日本もまた、この200年近くを激動のなかで過ごしてきました。そのなかでは、同じ日本人同士が血を流し殺し合った苦しい時期を経験しているのです。
>東京の荒川が軍事境界線になり東が社会主義体制で50年前には同じ民族同士の東西戦争があって200万人が犠牲になった、東の国は独裁者が存在し核をちらつかせる。東の親戚には会うことも出来ないし手紙もままならない、東の民を救う為には戦争覚悟だ、50年前の戦争の再来を覚悟しても太陽政策など必要ない、生きるか死ぬかの大博打が最善策だと思いますか?
現在の日本人が、決断力が遅く、覚悟を決めることをぐずぐずと嫌がり、いったん決まったことでもあれこれと理由をつけて「自分とは関係がない」と言いたがる傾向が強いことは重々自覚しております。sonfanさんも、例のイラク人質事件の見苦しい騒ぎはご覧になったでしょう。あれが日本人の一方での体たらくです。
それから考えて、上に書かれているような事態になった時、日本人が現在の韓国人以上に覚悟の座った態度を取ることができると断言するほど私は傲慢ではありません。
しかし、こうは思います。覚悟の決まった態度をとることができないならば、それに値する結果を得るだけのことです。「1について」で縷々述べたことがまさに天に唾吐く結果となり、この日本においてそのような事態が起こるであろうと考えるのが論理的である。私にはそう言うしか術がありません。
ただ、2つのことは思います。まず、その場合の西日本の人間たちはアメリカのプレゼンスを落とすようなことはしないだろう、と。それは、戦後50数年間、あれやこれやと保守政治に文句を言いながらも彼らを与党としつづけたことで保証ずみと思います。
そしてもう1つ。これは、声を大にして申し上げたいことです。
実際に、日本を東西2つに割るかもしれない内戦をすでに日本人は戦っているのです。1868年の明治維新とそれにつづく戊辰戦争です。ここから先の考えは、会津藩士の子孫である配偶者と西日本出身者である私が死ぬまで意見を同じくできないところですが、あえて申します。
もし鳥羽・伏見の戦いで幕府がわが勝っていたら、また徳川慶喜将軍が恭順の道を選ばず東日本の諸藩に断固抵抗を命じていたら、日本は2つに分裂して長い戦いを戦い合わねばならなかったでしょう。そして、それぞれのバックについた英国とフランスの思惑に翻弄され、多くの流血沙汰を繰り返したあげく、西日本は英国の植民地に、東日本はフランスの植民地になっていたかもしれません。
個人的には、夫の先祖が官軍から受けた仕打ちに憤ることもございます。ですが、あの戊辰戦争で官軍が勝利して全国を維新政府の下に纏め上げてくれたことに感謝する気持ちは変わりません。
日本にお暮らしで生活基盤も日本社会にお持ちのお一人として、sonfanさんにもどうかわかっていただきたいのです。日本もまた、この200年近くを激動のなかで過ごしてきました。そのなかでは、同じ日本人同士が血を流し殺し合った苦しい時期を経験しているのです。
これは メッセージ 19685 (lilasnosakukoro さん)への返信です.
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