国際公法さん、感謝です。
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/06/02 13:48 投稿番号: [18953 / 44985]
国際公法さんを見落としていたなんて、私も大トンマ。レス、本当にありがとうございます。
>三別抄についてのサイトですが、私には↓が(歴史の専門家のサイトではないようですが)参考になりましたので、ご紹介します。
さっそく一通り目を通しました。私が一番引っ掛かっていた部分の謎が解けました。
それに、参考文献がきちんと掲載されているのも実にありがたかったです。古いものが多いのがちょっと苦しいですけど。『元史』や『高麗史』の原文を読み下す自信が……もっと徹底的に漢文の勉強をしておくんだった、と後の後悔先に立たず、です。
私が読んでいたのは、『元寇』(旗田巍著 中公新書)だったのです。著者のスタンスは、「蒙古の侵略・支配はアジア諸国民にとって、もっとも苛酷なものであった。それへの抵抗は不断に行なわれた。日本は、その見知らぬ人々の力によってたすけられていたのである」なのです。
ですが、読めば読むほど私には、高麗が内紛を繰り返したあげく財政的に負担の大きい元の対日本強硬路線に引きずり込まれていく(しかも、フビライに日本の情報を耳打ちしたのは当の高麗人)ありさましか見えてきません。「もう、そんなタイミングで内輪もめ起こしたら元はウハウハだろう」って感じ。
私が一番引っ掛かっていたのは、
「三別抄が蜂起にふみきった直接の原因は、国王の使者が解散命令を下すと同時に三別抄の名簿を取りあげたことであった。名簿は国王から蒙古軍に渡るおそれがある。すると蒙古軍が名簿によって三別抄を捕え処断する危険性が多分にあった」
というくだりです、これ、自国の王が蒙古ヘ自分たちを売り渡すことを恐れていたってことだよね、と思ったら、従来の、「三別抄の叛乱=朝鮮民族挙げての蒙古へのレジスタンス運動」とは言えないんじゃない? 、と考え始めてしまったので。
ご紹介くださったサイトのおかげでそのあたりの謎が解けました。
後は、文永・弘安の役の折の襲来軍における高麗兵の比率をおおまかにでもつかまなくては、と思っています。『元寇』の旗田氏は、そのへんを巧みに一種トリミングしていくんですよ。さすがに弘安の役の時には、襲来軍の一角に確実に高麗の軍勢が加わり一大勢力をなしていたことは書いていますけどね。
それにしてもねぇ。どうしてこんなに、内紛沙汰が多いんでしょう。それさえ起こさなければ、もっと有効に対蒙古レジスタンスを行えたような気がするんですけど。実際フビライが三度目の日本遠征を企んでいた時、ベトナムの王朝は元への叛乱を起こし鎮圧を失敗させていますからねぇ。
これで、「高麗の抵抗のおかげで日本は助かったんだ!」と言われても、本当ですかぁ? という気分になります。
一言付け加えれば、私は、高麗王朝が元への服属政策により日本襲来の片棒を担いだこと自体を責める気はまったくありません。高麗王は高麗という国のための政策を行うべきであって、日本のためを思う必要はありませんから。ですが、それと同じように、豊臣秀吉も西郷隆盛も伊藤博文もまず日本のことを優先するのはあたりまえだった(しかも伊藤博文は日韓併合に反対だった!)ことは当然だと思ってほしいと思います。
しかも、元寇にせよ秀吉の朝鮮征伐にせよ、すでに数百年も前のことなのですから歴史上の出来事として冷静に研究しあうべきだと思うんですが。
以上、お礼を兼ねまして中間報告とさせていただきます。
それでは。
>三別抄についてのサイトですが、私には↓が(歴史の専門家のサイトではないようですが)参考になりましたので、ご紹介します。
さっそく一通り目を通しました。私が一番引っ掛かっていた部分の謎が解けました。
それに、参考文献がきちんと掲載されているのも実にありがたかったです。古いものが多いのがちょっと苦しいですけど。『元史』や『高麗史』の原文を読み下す自信が……もっと徹底的に漢文の勉強をしておくんだった、と後の後悔先に立たず、です。
私が読んでいたのは、『元寇』(旗田巍著 中公新書)だったのです。著者のスタンスは、「蒙古の侵略・支配はアジア諸国民にとって、もっとも苛酷なものであった。それへの抵抗は不断に行なわれた。日本は、その見知らぬ人々の力によってたすけられていたのである」なのです。
ですが、読めば読むほど私には、高麗が内紛を繰り返したあげく財政的に負担の大きい元の対日本強硬路線に引きずり込まれていく(しかも、フビライに日本の情報を耳打ちしたのは当の高麗人)ありさましか見えてきません。「もう、そんなタイミングで内輪もめ起こしたら元はウハウハだろう」って感じ。
私が一番引っ掛かっていたのは、
「三別抄が蜂起にふみきった直接の原因は、国王の使者が解散命令を下すと同時に三別抄の名簿を取りあげたことであった。名簿は国王から蒙古軍に渡るおそれがある。すると蒙古軍が名簿によって三別抄を捕え処断する危険性が多分にあった」
というくだりです、これ、自国の王が蒙古ヘ自分たちを売り渡すことを恐れていたってことだよね、と思ったら、従来の、「三別抄の叛乱=朝鮮民族挙げての蒙古へのレジスタンス運動」とは言えないんじゃない? 、と考え始めてしまったので。
ご紹介くださったサイトのおかげでそのあたりの謎が解けました。
後は、文永・弘安の役の折の襲来軍における高麗兵の比率をおおまかにでもつかまなくては、と思っています。『元寇』の旗田氏は、そのへんを巧みに一種トリミングしていくんですよ。さすがに弘安の役の時には、襲来軍の一角に確実に高麗の軍勢が加わり一大勢力をなしていたことは書いていますけどね。
それにしてもねぇ。どうしてこんなに、内紛沙汰が多いんでしょう。それさえ起こさなければ、もっと有効に対蒙古レジスタンスを行えたような気がするんですけど。実際フビライが三度目の日本遠征を企んでいた時、ベトナムの王朝は元への叛乱を起こし鎮圧を失敗させていますからねぇ。
これで、「高麗の抵抗のおかげで日本は助かったんだ!」と言われても、本当ですかぁ? という気分になります。
一言付け加えれば、私は、高麗王朝が元への服属政策により日本襲来の片棒を担いだこと自体を責める気はまったくありません。高麗王は高麗という国のための政策を行うべきであって、日本のためを思う必要はありませんから。ですが、それと同じように、豊臣秀吉も西郷隆盛も伊藤博文もまず日本のことを優先するのはあたりまえだった(しかも伊藤博文は日韓併合に反対だった!)ことは当然だと思ってほしいと思います。
しかも、元寇にせよ秀吉の朝鮮征伐にせよ、すでに数百年も前のことなのですから歴史上の出来事として冷静に研究しあうべきだと思うんですが。
以上、お礼を兼ねまして中間報告とさせていただきます。
それでは。
これは メッセージ 18915 (kokusaikouhou666 さん)への返信です.
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