鶏の鳴き声
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/15 19:39 投稿番号: [16468 / 44985]
新約聖書ルカによる福音書22章61〜62節
主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
私は以前に、「自分の周辺に危険が襲って親類や親しい友人の子供達が人質にされようとしたら、おそらくは身代わりを名乗り出るだろう」と書いた。
これは、つい最近、友人と、友人の小学生のお嬢さん2人との4人で映画を観にいった時のことを思い浮かべながら書いたものである。
もしこのような場合にその映画館が凶悪犯にでも襲われて、その子達が人質にされでもしたら……さすがに、「身代わりになります」と言うだろうとは思う。だが、子供達でなく、友人そのものが人質になったら?
果たして、「2人のこどもには、母親はかけがえのない存在だ。それよりは、私が」と思えるだろうか?
あるいは、人質になったのが見も知らない子供だったとしたら?
最終的にどう行動するにせよ、私は、3度は迷うだろう。
このようなケースを考えて自分というものを噛み締めることは、狼が来たと騒ぎ立てるようなものなのだろうか。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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