ペルソナさんへ
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/03/09 23:20 投稿番号: [14808 / 44985]
以下は、私の意見ですが。
>前のレスにも書きましたが、儒教に基づいた考え方では、易姓革命は起きても体制を改めることはできないと思いますので、構造変化は起きえないでしょうし、社会は停滞したままだと思います。
李朝の後半300年間が、「停滞した」社会であったと見るのでは、ペルソナさんと私は一致していますよね。で、その原因なんですが……
はたして儒教は、この停滞の原因だったんでしょうか、それとも結果だったんでしょうか?
両方の可能性があると、私は思うんです。
「ミイラとりは、容易にミイラになる」というのは八重七重さんの言葉ですが、朝鮮半島で儒教が一種の国教として選択された事の始まりは、かなり功利的なものだったと思います。歴代の中国王朝の版図のすぐそばに国を構えているのですから、中国へのアピールは欠かせませんし、そのためには中国文明の重要な要素である儒教を積極的に取り入れて、「文明開花」しているかのごとく見せかけるというのは、政策として間違っていたわけではないと考えています。ただ、もとはそのつもりで取り入れた儒教を本気で信じてしまったから、後々の李朝のああいう社会が出来上がってしまったのか。それとも、儒教を信じやすい体質が本質的に朝鮮民族にあったからこそ李朝後期のような社会を作ってしまったのか。
儒教と社会的停滞は、卵と鶏の関係のように思えるんです。
私の考えはこんなところです。
それでは。
これは メッセージ 14739 (perusonanongrata さん)への返信です.
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