一億年後殿へ
投稿者: nagoyan_2shiki 投稿日時: 2003/12/16 00:09 投稿番号: [10347 / 44985]
>宜しくお願いします
フムフム。
よしなにのう。
>俯瞰してみて、「自由な意思(意志)と、意識と、情愛(感情)を持ち合わせた人間の存在があり、
>それがさらに存続していく」という客観的な事実認識をした。
>この事実認識が、私をして、基本的には「人が人を(単純に)殺してはいけない」という、
>確固としたものを、確固とした「人間尊重」の意識を、導き出させた。
>
「自由な意志(意思)と、意識と、情愛(感情)を持ち合わせた人間の、存在と、存続」
>という事実認識は、全ての価値観の、普遍的な源(前提)である、と考えております。
わしは一億年後殿の意見を支持できない。
理由は下記2点じゃ。
1. 人間が「自由な意思(意志)と、意識と、情愛(感情)を持ち合わせ」ているとは限らないから。
胎児・乳幼児や精神病患者、カルト信者、痴呆性老人、植物人間などが、
「自由な意思(意志)と、意識と、情愛(感情)を持ち合わせ」ているとは言い切れない。
彼らは人間ではないのだろうか?
2. 本当に大事なのは「なごやん」だと考えるから。
一億年後殿の言葉にある「俯瞰してみて」という部分に焦点をあてれば、
そこから透けて見えるのは「総体的にみて、動物とくらべれば人間の方が重要」ということだろう。
では、人間は「人間」として形而下世界にあるのか?
実際には違う。現実に存在するのは「なごやん」じゃ。
のっぺらぼうのどこにでもいる「人間」ではない。
「なごやん」は「取替えの効かない、失われたら二度と元には戻らないモータルな存在」
であるがゆえに尊いとわしは考える。
(この「なごやん」の部分は「一億年後殿」でも「サンちゃん」でも「李殿」でも成り立つ)
さて、ちょっと抽象的な議論がすぎたようじゃ。
ただ、わしの考えの根底にある部分を表に出した。
北朝鮮に関する事柄を考える場合にも、このような根底部分を現実に当てはめて考えている
(厳密に言えば「考えたいと思っている」)ことはご留意いただこう。
これは メッセージ 10321 (ichiokunengo さん)への返信です.
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