お家の事情
投稿者: piaecayce 投稿日時: 2005/04/11 11:30 投稿番号: [9353 / 85019]
>「大韓臨時政府」はアメリカにも中国にも承認されていなかった。
せめてドイツ占領下のフランスでのレジスタンスのようにゲリラ戦でも行っていれば、
連合国の一員と認められる可能性はあったろうが、それすらもなかった。
>終戦時、朝鮮独立派のリーダーの一人・金九は重慶で
「韓国軍は日本軍を打ち破ることは一度もなかった。
わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。」
昭和20年8月15日に終戦を迎えると、朝鮮総督府の遠藤柳作・政務総監は
朝鮮語新聞「中央日報」社長・呂運享と会い、一切の統治機構を韓国人の自治組織に引き渡すことを申し出た。
連合軍は8月16日に総督府に機密命令を発し、
しばらく朝鮮統治を続け、統治機構を保全したまま連合軍に引き渡すように命令した。
朝鮮側は激怒したが、なすすべはなかった。
「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言したが、米ソ両国はこれを無視した。
9月8日、
米軍が仁川に上陸すると、「朝鮮人民共和国」の代表が迎えたが、まったく相手にされず、
逆に500人ほどの朝鮮人が太極旗を掲げ、花束をもって米軍に近寄ろうとしたら、
米軍が勘違いして発砲し、多数の重軽傷者が出る有様だった
9月9日
アメリカ側はホッジ中将、キンケード大将
日本側は阿部信行大将、上月良夫中将との間で、
休戦協定が結ばれたが、朝鮮側はまったく蚊帳の外に置かれていた。
>ルーズベルト大統領はヤルタ会談で、朝鮮半島は独立させず、
連合国による信託統治とし、その期間は20年から30年くらい必要だと述べていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog190.html
これは メッセージ 9347 (piaecayce さん)への返信です.
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