「国の魂と精神文化」を自ら汚した朝鮮人
投稿者: kokusaikouhou666 投稿日時: 2005/03/28 22:55 投稿番号: [8104 / 85019]
諺文を賎しい文字として扱ってきたのは朝鮮人だろうが。
お前達朝鮮人は、自ら「魂と精神文化」である「固有の文字」を賎しい「諺文=劣った文字」、「女文字」、「子供文字」、「便所文字」等と称して蔑んできたこと、即ち400年以上に亙り朝鮮人は民族の「魂と精神文化」を汚してきたことを知らないのか?
このトピの常連さんにとっては常識に属する知識だが、歪曲と捏造に満ちた国定教科書しか読んだことのない無知蒙昧な南朝鮮人のため、お前等の国定教科書には恥ずかし過ぎて書こうにも書けなかった、諺文の本当の歴史を教えてやるから有り難く拝読しろよww
諺文は、作成者である世宗自身が「愚民用文字」と位置づけていたように、当初から公文書等重要な文書には一切使われることのない、劣った文字、賎しい文字であった。
それどころか李朝第10代の燕山君は、諺文庁に保管されていた「諺文公訣」等諺文で記載された書類を全て焼き捨てた上に、諺文の使用者を処刑し諺文の教授と学習を禁止した。
次の第11代中宗は、即位すると直ちに諺文庁を閉鎖してしまった。
このような扱いを受けたため、諺文は李朝末期まで一部の下層民の中で細々と使われていたに過ぎず、「訓民正音解例」自体も長い間行方不明になり、諺文による注釈本(=諺解)だけが伝えられ統一的な表記法も失われてしまった(それでも李氏朝鮮時代は何の痛痒も感じていなかった訳だが)。
因みに「訓民正音解例」は1940年に発見されたが、それまでは諺文の字形の起源が分からず、障子の枠や引き手から字形が考え出されたという説が有力であったほどであった。
李氏朝鮮時代に朝鮮人が自ら諺文を蔑視していたことは、19世紀末にダレ神父が著した「朝鮮事情」の中の「朝鮮文字の本が殆んど無い」、「中国と朝鮮の間には、学問研究と科挙に於いて二つの明確な相違点がある。その一つは、朝鮮に於ける学問は全く民族的なものでは無いという点である。読む本と言えば中国のもの、学ぶ言葉は朝鮮語ではなく漢語であり」という記載からも窺える。
又英国人の女流旅行家・イザベラ=ビショップ・バード女史も、有名な「朝鮮紀行」の中で、「朝鮮人は自分の固有のハングル文字を軽蔑し、中国文字である漢字のみをひたすら尊重するおかしな国民である」と記している。
このように朝鮮人は19世紀に至るまで自らの「魂と精神文化」である諺文を徹底的に蔑んでいたのであるが、19世紀に至って諺文を復活させたのは、朝鮮人ではなく福澤諭吉先生と朝鮮総督府であった。
福澤先生は、自費で諺文の活字を作り、朝鮮に招聘された弟子の井上角五郎に託し、朝鮮で最初の新聞『漢城旬報』を漢字諺文交じりで発行させた。
その後朝鮮を併合した大日本帝国は、住民の殆どが文盲であった朝鮮人を憐れみ、朝鮮人の識字率を高めるため、統一的な表記法が失われて久しい諺文を整理し、明治44年施行の「朝鮮教育令」に基づいて諺文綴字法を制定し、諺文の教科書を作成し、朝鮮人を教育した。
要するに朝鮮人が蔑み卑しんだ諺文を、慈愛に満ちた数々の日本人が拾い上げて復活させ、文盲の朝鮮人達に与えて下さったというのが、愚民用文字=諺文の本当の歴史なのだ。
分かったか、南朝鮮人ww
お前達朝鮮人は、自ら「魂と精神文化」である「固有の文字」を賎しい「諺文=劣った文字」、「女文字」、「子供文字」、「便所文字」等と称して蔑んできたこと、即ち400年以上に亙り朝鮮人は民族の「魂と精神文化」を汚してきたことを知らないのか?
このトピの常連さんにとっては常識に属する知識だが、歪曲と捏造に満ちた国定教科書しか読んだことのない無知蒙昧な南朝鮮人のため、お前等の国定教科書には恥ずかし過ぎて書こうにも書けなかった、諺文の本当の歴史を教えてやるから有り難く拝読しろよww
諺文は、作成者である世宗自身が「愚民用文字」と位置づけていたように、当初から公文書等重要な文書には一切使われることのない、劣った文字、賎しい文字であった。
それどころか李朝第10代の燕山君は、諺文庁に保管されていた「諺文公訣」等諺文で記載された書類を全て焼き捨てた上に、諺文の使用者を処刑し諺文の教授と学習を禁止した。
次の第11代中宗は、即位すると直ちに諺文庁を閉鎖してしまった。
このような扱いを受けたため、諺文は李朝末期まで一部の下層民の中で細々と使われていたに過ぎず、「訓民正音解例」自体も長い間行方不明になり、諺文による注釈本(=諺解)だけが伝えられ統一的な表記法も失われてしまった(それでも李氏朝鮮時代は何の痛痒も感じていなかった訳だが)。
因みに「訓民正音解例」は1940年に発見されたが、それまでは諺文の字形の起源が分からず、障子の枠や引き手から字形が考え出されたという説が有力であったほどであった。
李氏朝鮮時代に朝鮮人が自ら諺文を蔑視していたことは、19世紀末にダレ神父が著した「朝鮮事情」の中の「朝鮮文字の本が殆んど無い」、「中国と朝鮮の間には、学問研究と科挙に於いて二つの明確な相違点がある。その一つは、朝鮮に於ける学問は全く民族的なものでは無いという点である。読む本と言えば中国のもの、学ぶ言葉は朝鮮語ではなく漢語であり」という記載からも窺える。
又英国人の女流旅行家・イザベラ=ビショップ・バード女史も、有名な「朝鮮紀行」の中で、「朝鮮人は自分の固有のハングル文字を軽蔑し、中国文字である漢字のみをひたすら尊重するおかしな国民である」と記している。
このように朝鮮人は19世紀に至るまで自らの「魂と精神文化」である諺文を徹底的に蔑んでいたのであるが、19世紀に至って諺文を復活させたのは、朝鮮人ではなく福澤諭吉先生と朝鮮総督府であった。
福澤先生は、自費で諺文の活字を作り、朝鮮に招聘された弟子の井上角五郎に託し、朝鮮で最初の新聞『漢城旬報』を漢字諺文交じりで発行させた。
その後朝鮮を併合した大日本帝国は、住民の殆どが文盲であった朝鮮人を憐れみ、朝鮮人の識字率を高めるため、統一的な表記法が失われて久しい諺文を整理し、明治44年施行の「朝鮮教育令」に基づいて諺文綴字法を制定し、諺文の教科書を作成し、朝鮮人を教育した。
要するに朝鮮人が蔑み卑しんだ諺文を、慈愛に満ちた数々の日本人が拾い上げて復活させ、文盲の朝鮮人達に与えて下さったというのが、愚民用文字=諺文の本当の歴史なのだ。
分かったか、南朝鮮人ww
これは メッセージ 8038 (lcb2100_99 さん)への返信です.
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