Re: 追軍売春婦も(横)
投稿者: nandakana2008 投稿日時: 2008/10/29 20:23 投稿番号: [78939 / 85019]
また盲爆か、呆れた奴だな。(苦笑)
あっ、後はこれも検索してみなよ、
これで何度目だ、あんたに資料提示したのは。(笑)
[戦後日本の地域社会の変容と在日朝鮮人]の一部より抜粋。
一 在日朝鮮人の「外国人化」
朝鮮人の日本での定住は,じつは,すでに戦前からの事実であった。たとえば,1930年代後半のある官憲資料には次のような記述がある。「(1938年の在日朝鮮人,79万9,865人のうち)世帯を有する総人員は六五九,七〇八名にして総人員の八二%を占む。更に男女の数につき観るに昭和六年末に於いては男二四四名に対し女一〇〇名の割合なりしが,この男女の数の差は逐年縮少し,本年末に於いては男四八五,四〇一名,女三一四,四七七名にして男一五四名に対し女一〇〇名の比となり,この男女の比の接近及世帯人員数の比の多きは,在住朝鮮人が漸次定住性を帯びつつあることを示すものなり」3)と,すでに在日朝鮮人の「定住性」が語られているのである。
かりに,「戦後補償」という観点から在日の歩みを振り返れば,なんと言っても「強制連行」のことが問題になる。日本のある植民地研究者は,この「強制連行」の過酷さを指摘しながら,「現在,日本に在住する朝鮮人は68万8,000人(1990年末)である。このうちの圧倒的多数は,強制連行された人びとの二世か三世である」4)と述べ,在日朝鮮人問題の出発点がほぼこの「強制連行」にあると示唆している。
「強制連行」とは,日中戦争開始以後,「募集」(39∼41年)に始まり,「官斡旋」(42∼43年),「徴用」(44∼45年)と,戦局の悪化につれてその手荒さがエスカレートした,強制もしくは半強制の植民地の人びとに対する戦時動員を意味し,「戦後補償問題」の最大の争点としていまだその清算は十分になされたとはいえない。
しかし,在日朝鮮人問題の「出発点」としての「強制連行」説は,善意とはいえ,やはり,誤ったステレオタイプと言わざるをえない。1980年代の後半に実施された,在日朝鮮人150人余りを対象とする,ある聞き取り調査によれば,自分の親,もしくは,祖父母が「強制連行」で日本に連れて来られたというものは皆無だったという5)。
また,原尻秀樹は,戦後「日本に残った者の多くは日本に生活基盤のあった者」だとして,その根拠として「官斡旋」や「徴用」による朝鮮人のほとんどはGHQによって実施された本国への「計画送還に組み込まれていたこと」,また「1950年の在日朝鮮人の人口構成で男女の比率が移民型をなして」いたことの二点を挙げている6)。
よく知られているように,朝鮮人の日本への渡航が本格化するのは日本が第一次大戦の軍需景気に沸いた 1910 年代の後半頃からである。在日朝鮮人の人口が5千人にも満たなかった1915年から,1920年には3万人余り,1930年には30万人,さらに前掲資料にあるように,「強制連行」の始まる前年(1938年)までに80万人の水準に達しようとしていた。2百万人を超える朝鮮人を抱えるようになった敗戦までの朝鮮人の渡日は,第一次大戦から20年代までの段階(第一期),38年までの30年代(第二期),そして39年に始まる戦時動員期(第三期)に分けられる。ごく大雑把に言うと,この三つの時期は,渡航の性格や日本での生活形態という点で,それぞれ,定住性の薄い単身の出稼ぎ労働者を中心とする第一期,いわゆる「移民型」で在日の定住コミュニティが大阪など各地でつくり出された第二期,そしてやはり単身の労働者を中心とする第三期,というふうに特徴づけることができよう。
(引用ここまで。)
後は自分の目で確かめな。(笑)
実に下らない「悪魔の証明」に現を抜かしてんじゃねぇよ、在日君。
あっ、後はこれも検索してみなよ、
これで何度目だ、あんたに資料提示したのは。(笑)
[戦後日本の地域社会の変容と在日朝鮮人]の一部より抜粋。
一 在日朝鮮人の「外国人化」
朝鮮人の日本での定住は,じつは,すでに戦前からの事実であった。たとえば,1930年代後半のある官憲資料には次のような記述がある。「(1938年の在日朝鮮人,79万9,865人のうち)世帯を有する総人員は六五九,七〇八名にして総人員の八二%を占む。更に男女の数につき観るに昭和六年末に於いては男二四四名に対し女一〇〇名の割合なりしが,この男女の数の差は逐年縮少し,本年末に於いては男四八五,四〇一名,女三一四,四七七名にして男一五四名に対し女一〇〇名の比となり,この男女の比の接近及世帯人員数の比の多きは,在住朝鮮人が漸次定住性を帯びつつあることを示すものなり」3)と,すでに在日朝鮮人の「定住性」が語られているのである。
かりに,「戦後補償」という観点から在日の歩みを振り返れば,なんと言っても「強制連行」のことが問題になる。日本のある植民地研究者は,この「強制連行」の過酷さを指摘しながら,「現在,日本に在住する朝鮮人は68万8,000人(1990年末)である。このうちの圧倒的多数は,強制連行された人びとの二世か三世である」4)と述べ,在日朝鮮人問題の出発点がほぼこの「強制連行」にあると示唆している。
「強制連行」とは,日中戦争開始以後,「募集」(39∼41年)に始まり,「官斡旋」(42∼43年),「徴用」(44∼45年)と,戦局の悪化につれてその手荒さがエスカレートした,強制もしくは半強制の植民地の人びとに対する戦時動員を意味し,「戦後補償問題」の最大の争点としていまだその清算は十分になされたとはいえない。
しかし,在日朝鮮人問題の「出発点」としての「強制連行」説は,善意とはいえ,やはり,誤ったステレオタイプと言わざるをえない。1980年代の後半に実施された,在日朝鮮人150人余りを対象とする,ある聞き取り調査によれば,自分の親,もしくは,祖父母が「強制連行」で日本に連れて来られたというものは皆無だったという5)。
また,原尻秀樹は,戦後「日本に残った者の多くは日本に生活基盤のあった者」だとして,その根拠として「官斡旋」や「徴用」による朝鮮人のほとんどはGHQによって実施された本国への「計画送還に組み込まれていたこと」,また「1950年の在日朝鮮人の人口構成で男女の比率が移民型をなして」いたことの二点を挙げている6)。
よく知られているように,朝鮮人の日本への渡航が本格化するのは日本が第一次大戦の軍需景気に沸いた 1910 年代の後半頃からである。在日朝鮮人の人口が5千人にも満たなかった1915年から,1920年には3万人余り,1930年には30万人,さらに前掲資料にあるように,「強制連行」の始まる前年(1938年)までに80万人の水準に達しようとしていた。2百万人を超える朝鮮人を抱えるようになった敗戦までの朝鮮人の渡日は,第一次大戦から20年代までの段階(第一期),38年までの30年代(第二期),そして39年に始まる戦時動員期(第三期)に分けられる。ごく大雑把に言うと,この三つの時期は,渡航の性格や日本での生活形態という点で,それぞれ,定住性の薄い単身の出稼ぎ労働者を中心とする第一期,いわゆる「移民型」で在日の定住コミュニティが大阪など各地でつくり出された第二期,そしてやはり単身の労働者を中心とする第三期,というふうに特徴づけることができよう。
(引用ここまで。)
後は自分の目で確かめな。(笑)
実に下らない「悪魔の証明」に現を抜かしてんじゃねぇよ、在日君。
これは メッセージ 78936 (topics_jk さん)への返信です.
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