731部隊の亡霊か???北朝鮮
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/03/23 16:02 投稿番号: [7599 / 85019]
毒ガス生体実験
北朝鮮が実施
政治犯収容所で25年前から
脱北元化学者証言
致死量を調査/輸出目的にも
【ソウル=久保田るり子】北朝鮮から韓国に亡命した元化学者が北朝鮮内で実施された毒ガスによる生体実験に関与した詳細を産経新聞に証言した。元化学者によると、生体実験は軍の政治犯収容所内の実験所で行われ、毒ガスの致死量を調べるのが目的だったという。北朝鮮は核開発とともに生物化学(BC)兵器の脅威が問題視されてきたが、製造過程での生体実験を裏付ける情報が流出し始め、その実態が明らかになりつつある。
証言したのは二〇〇一年に第三国を経由して韓国に亡命した鄭大成氏(五四)=亡命後の変名。北朝鮮北部の咸鏡北道出身で理科系の大学を卒業、博士号を持つ。家族が現在も北朝鮮で生活している。
証言によると、生体実験に参加したのは一九七九年初夏。化学研究所の責任者だった当時、実験に使われた毒物製造に鄭氏も関与したことから立ち会うことになったという。
実験は収容所の建物のなかにある縦二メートル、横三メートル、高さ二・五メートルで正面がガラス張りの密閉した二つの実験室で行われた。男性収容者がそれぞれ部屋に入れられ、青酸ガスとオルト・ニトロクロロべンゼンの化学剤二種類が使われた。
実験のもようを鄭氏はこう語った。
「薬物の濃度を上げ、どのくらいで人間が死亡するかを調べた。一人は(衰弱して)歩けない状態で、人間ではないように感じた。実験前にトウモロコシの菓子を与えられ、むさぼり食べた」
「青酸ガスが入ると大声を上げ、三時間半で動かなくなる前も大声を上げた。もう一人は青酸とニトロクロロベンゼンの混合ガスで二時間半で反応がなくなった。混合ガスの方が効果があるという結論になった」
収容所は「(北朝鮮中部)平安南道平城市から西北に車で四十分ぐらいの山中」で、鄭氏は覆面をして連れて行かれたため正確な場所は不明という。実験には朝鮮労働党の軍需産業部課長と軍保衛司令部教化局副部長、収容所の係官二人が立ち会った。
実験では空気の濃度を測る機器に日本のメーカーのガス分析機器が使用されていたという。
収容所の囚人は、軍の中佐以上で反逆罪の政治犯と聞かされ、「(実験で殺されなくても)生きて出られる収容者ではなかった」といい、「北朝鮮で生きていれば(実験に関与したことで)罪の意識を感じることはない」とも話した。
鄭氏は毒物生産に協力したが、その工場は北朝鮮北部の慈江道江界の山中のトンネル内にあり、当時はサリン、ソマン、タブン、青酸、イペリットなどが生産されていたという。「一九九〇年初めまでは生産していた」といい、工場が所属する研究所は少なくとも二〇〇〇年まで存在していたと証言した。
また、証言で実験に軍事経済を担当する第二経済委員会をコントロールする軍需産業部幹部が出席していたことで、生物化学兵器が外貨稼ぎの手段として輸出されていた可能性もある。
北朝鮮の生物化学兵器計画は一九六〇年代に始まり六〇年代は旧ソ連、七〇年代は中国の技術支援を仰いだとされている。亡命者の証言などによると、日本統治時代の肥料、化学工場が毒物の生産工場に使われている。
九九年の韓国国防白書は「八〇年代までに生物兵器の生体実験が完了した」と指摘し、生物化学兵器の保有量を二千五百−五千トンと推定している。
鄭氏は在米民間団体の招きで来月訪米し、米議会の公聴会で証言する予定だ。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/22iti001.htm
致死量を調査/輸出目的にも
【ソウル=久保田るり子】北朝鮮から韓国に亡命した元化学者が北朝鮮内で実施された毒ガスによる生体実験に関与した詳細を産経新聞に証言した。元化学者によると、生体実験は軍の政治犯収容所内の実験所で行われ、毒ガスの致死量を調べるのが目的だったという。北朝鮮は核開発とともに生物化学(BC)兵器の脅威が問題視されてきたが、製造過程での生体実験を裏付ける情報が流出し始め、その実態が明らかになりつつある。
証言したのは二〇〇一年に第三国を経由して韓国に亡命した鄭大成氏(五四)=亡命後の変名。北朝鮮北部の咸鏡北道出身で理科系の大学を卒業、博士号を持つ。家族が現在も北朝鮮で生活している。
証言によると、生体実験に参加したのは一九七九年初夏。化学研究所の責任者だった当時、実験に使われた毒物製造に鄭氏も関与したことから立ち会うことになったという。
実験は収容所の建物のなかにある縦二メートル、横三メートル、高さ二・五メートルで正面がガラス張りの密閉した二つの実験室で行われた。男性収容者がそれぞれ部屋に入れられ、青酸ガスとオルト・ニトロクロロべンゼンの化学剤二種類が使われた。
実験のもようを鄭氏はこう語った。
「薬物の濃度を上げ、どのくらいで人間が死亡するかを調べた。一人は(衰弱して)歩けない状態で、人間ではないように感じた。実験前にトウモロコシの菓子を与えられ、むさぼり食べた」
「青酸ガスが入ると大声を上げ、三時間半で動かなくなる前も大声を上げた。もう一人は青酸とニトロクロロベンゼンの混合ガスで二時間半で反応がなくなった。混合ガスの方が効果があるという結論になった」
収容所は「(北朝鮮中部)平安南道平城市から西北に車で四十分ぐらいの山中」で、鄭氏は覆面をして連れて行かれたため正確な場所は不明という。実験には朝鮮労働党の軍需産業部課長と軍保衛司令部教化局副部長、収容所の係官二人が立ち会った。
実験では空気の濃度を測る機器に日本のメーカーのガス分析機器が使用されていたという。
収容所の囚人は、軍の中佐以上で反逆罪の政治犯と聞かされ、「(実験で殺されなくても)生きて出られる収容者ではなかった」といい、「北朝鮮で生きていれば(実験に関与したことで)罪の意識を感じることはない」とも話した。
鄭氏は毒物生産に協力したが、その工場は北朝鮮北部の慈江道江界の山中のトンネル内にあり、当時はサリン、ソマン、タブン、青酸、イペリットなどが生産されていたという。「一九九〇年初めまでは生産していた」といい、工場が所属する研究所は少なくとも二〇〇〇年まで存在していたと証言した。
また、証言で実験に軍事経済を担当する第二経済委員会をコントロールする軍需産業部幹部が出席していたことで、生物化学兵器が外貨稼ぎの手段として輸出されていた可能性もある。
北朝鮮の生物化学兵器計画は一九六〇年代に始まり六〇年代は旧ソ連、七〇年代は中国の技術支援を仰いだとされている。亡命者の証言などによると、日本統治時代の肥料、化学工場が毒物の生産工場に使われている。
九九年の韓国国防白書は「八〇年代までに生物兵器の生体実験が完了した」と指摘し、生物化学兵器の保有量を二千五百−五千トンと推定している。
鄭氏は在米民間団体の招きで来月訪米し、米議会の公聴会で証言する予定だ。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/22iti001.htm
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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